「ルソン島 悲劇のゲリラ討伐作戦」

今朝放映された「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズの「ルソン島 悲劇のゲリラ討伐作戦 〜秋田県・歩兵第17連隊〜」。このシリーズでは大戦末期の戦場がとりあげられることが多いので、日本軍将兵の悲惨な体験についての証言が目立つ。今回もゲリラの巧みな襲撃、米軍の圧倒的な火力、そして飢餓についての証言がなされる一方で、タイトルが示唆するようにゲリラへの報復としての掃討作戦で“女子供”まで殺害したことについての証言にもかなりの時間が割かれていた。特に興味深かったのは、自分自身のことを含め非戦闘員を殺害した時の様子を詳細に証言した元兵士がいる一方で、非戦闘員の殺害については絶対にしゃべらないとカメラの前で強調した証言者がいたこと。登場するのは取材に協力するつもりのある人びとばかりであり、かつ部隊の生存者もごくわずかでかつてのように元上官や戦友の目を気にしての証言拒否ではなさそうである。自身でも“地獄の話を生きている間にはできない”といった理由付けをしていた。


以下余談。このシリーズで以前に敗戦間際の歩兵第65連隊がとりあげられており、その放送予定をメモしたエントリで当時の連隊長が服部卓四郎であることを書いておいたのだが、岩波の「戦争の経験を問う」シリーズの一冊、成田龍一氏の『「戦争経験」の戦後史――語られた体験/証言/記憶』を読んでいたら服部について「大本営参謀本部作戦課長(大佐)で敗戦を迎え」という記述がある(111ページ)のを見つけてしまった。作戦課長時代のことがあまりにも有名とはいえ……。まあ指摘してもあまり価値のある事柄でもないが*1

*1:なお「大本営参謀本部」も正しくは「大本営陸軍参謀部」のはず。