「南太平洋 “軍旗海没” 〜篠山 歩兵第170連隊〜」
- 2月27日 8:00〜 NHK BShi 証言記録 兵士たちの戦争 「南太平洋 “軍旗海没” 〜篠山 歩兵第170連隊〜」
3年半に渡り、絶望的な消耗戦が続いた東部ニューギニア戦線。ここで日本陸軍史上ほとんど例のない「現地解隊」を命じられ消滅した部隊があります。兵庫県の郷土部隊「篠山歩兵第170連隊」です。
昭和17年11月、中国で大きな戦果を上げた170連隊は、転進命令を受け太平洋の海上を進んでいました。しかし、そこで悲劇が起こります。輸送船が敵の魚雷攻撃を受け沈没。その時、“軍旗海没”という未曽有の事態を引き起こしてしまうのです。(中略)
軍旗を失った170連隊が投入されたのは、おびただしい戦死者を出し「生きて帰れぬ」と恐れられたニューギニアでした。制空権を奪われた中での敵前上陸などで将兵の半数以上が戦死。そして170連隊を待っていたのは、大本営の非情な判断でした。現地解隊命令、つまり連隊の消滅です。残された兵士たちは、太平洋の激戦地にばらばらに送り込まれていきました。170連隊将兵3000人のうち、日本に生還できたのは100人あまりと言われます。
軍旗喪失という負い目を背負い、多くの犠牲を強いられた170連隊。兵士たちは戦場をどう生き抜き、そして今、当時の体験をどう振り返るのか。“幻の第170連隊”の歴史に迫ります。
録画を見ながら、旧陸軍の歩兵聯隊の戦歴について簡単に調べたい時にいつも参照している『日本陸軍歩兵連隊』(新人物往来社)をあたってみたのだが、第一七〇聯隊は収録されていなかった。篠山で編成された歩兵聯隊としては第七〇聯隊がとりあげられているだけ。
一七〇聯隊の一員として戦死した兄の足跡を辿った女性の証言。「170連隊という連隊はないと言われるんです、はじめのうちは。どなたに聞いても」「(ニューギニアの遺族会に問い合わせたところ)そういう部隊はニューギニアに来てません、と」。また合同慰霊祭ではニューギニアに渡って以降の一七〇聯隊を誹謗する周囲の声に反論もできなかったという体験を語り、戦死者が「浮かばれない」と。「英霊に感謝」等々の主張の裏に潜む残酷さが浮き彫りにされていた。