中国戦線における飢餓

先日、中国戦線における日本軍の兵站に関する話題がTLにちらほらと流れてきていたので。
「中国は陸続き」と言ったって機械化の遅れた日本軍のこと、まして制空権も奪われた大戦末期になれば兵站線の確保は容易なことではない。
第27師団の中隊長として大陸打通作戦に参加した歴史家の故・藤原彰氏は、部隊が兵站戦の構築のための道路工事に動員された時の経験を『餓死した英霊たち』(青木書店)で紹介しているが、兵站線の先頭近くで作業しているにもかかわらず「やっとわずかな主食が補給されるだけ」で、「その他の食料は徴発によらなければならない」状況だった。徴発するにしても、すでに先行する部隊が「散々に荒して通った後で、どの部落もまったくの廃墟と化して」いるありさま。こうした事情が後に多くの栄養失調死を出す原因となった、としている(122-123ページ)。
他方、食料はそれなりにあるのに「餓死」する兵士たちもいた。軍医たちが「戦争栄養失調症」と呼んだ現象である。『餓死した英霊たち』では軍医中佐だった長尾五一氏が戦後に刊行*1した『戦争と栄養』が援用されている。これは私も未見だが、やはり軍医として徐州作戦に従軍し戦後は開業医をしていた人物が出版した『秘録・戦争栄養失調症』という本は図書館でみたことがある。

戦争栄養失調症は『戦争と罪責』でもとりあげられていて、著者の野田正彰氏はこれを「拒食症」と理解している。

*1:当初本人がガリ版刷りで配布したものを原本として、94年に刊行。