「修正」しないことが歴史修正主義になることもある

歴史修正主義」に代わる適切な用語を提案してそれを定着させるべく努力してくれるというのなら実に結構なはなしなんですが、まあ日本でこの用語にケチをつけるやつの9割9分9厘はろくでもないやつです。「歴史修正主義」のパラダイム的な指示対象としてはホロコースト否定論があり、そこからのアナロジーによりこの用語の有効な使用法について有効なコンセンサスを得ることは容易だ……という事実を無視することによってのみ可能になるケチだからです。
さて、もう半月以上前のニュースですが。

 豪州で最も英雄視されている「ロバを連れたシンプソン」の伝説が揺れている。第1次世界大戦の激戦地トルコのガリポリ半島で戦死した1等兵をめぐる素顔が、最近の歴史研究で徐々に明らかにされているためだ。今年で開戦100年となるのを機に、冷静な検証を期待する声もある。

この種の脱神話化は歴史学においては珍しいことではありません。そして、脱神話化への抵抗についても同様です。

 ただ、いつ撃たれてもおかしくない状況で、4週間近くもロバで負傷者を運んだのは間違いない。部隊から離れて危険な任務を続けた理由は「ナゾだ」とエキンズ氏。「彼は運命論者だったのかもしれない。激しい戦闘の中、仲間のために自分ができるベストなことをやろうとしたのでは」


 このため、伝説の見直しには反発する声も多い。シドニー在住のキャンディ・サットンさんは、野戦病院でシンプソンの上官だったという祖父の日記などを根拠に間違いなく英雄だったと訴えている。「歴史を改ざんしようとする愚かな行為は許せない」と憤る。

現時点では従来の「伝説」が結果として正しいのか、それとも「見直し revision」の方が正しいのか、断言することは出来そうにありません。また、資料的限界のために、決定的な結論が出ないこともあり得ます。しかし歴史学的な結論がはっきり下った後にもなお「シンプソンの上官だったという祖父の日記などを根拠に間違いなく英雄だった」と主張し続けるとすれば、それはある種の歴史修正主義であると言うべきでしょう。それは物語への願望を歴史学的メソッドに優先させることであろうから、です。
いまだに「昭和天皇二度の御聖断」なんて神話を信じている人々についても、いい加減「歴史修正主義者」と呼んでしかるべきだと思います。