魂を自ら鎖で繋いだ人間には、鎖で繋がれていない程度のことが「自由」に思えるのだろう

写真は『日本経済新聞』朝刊の連載「熱風の日本史」14年4月6日掲載分です。当時の公娼制における「廃業の自由」がいかなるものであったかの一端を示すエピソードです。


さて、「慰安婦」の廃業を「許可制」にすることの意味がわからないような人々は、残念ながら毎日新聞にもいるようです。法華狼さんからご教示いただいた記事より。

インタビュアーは「−−ビルマ(現ミャンマー)の慰安所で、外出の自由や、兵士と結婚した例を記載した米公文書もあります」としてニクシュ氏の見解を質していますが、この「公文書」とはまず間違いなく「日本人捕虜尋問報告 第49号」のことでしょう。そしてこの報告書を読んだ人間であれば、そこには「外出の自由」など書かれてはおらず、「都会では買い物に出かけることが許された」(強調引用者)とされていることに直ちに気づきます。
今日(日本社会で)セックス・ワークに従事している人の多くは、買い物に出かけることを「許され」たりはしないはずです。(決められた勤務時間中に外出するというのでなければ)そもそも許可が必要ないからです。逆に買い物に行くにも店の「許可」が必要なようなら、その人は「性奴隷」と評すべき状態にある蓋然性が極めて高いことになります。
世の中にはびっくりするようなことを大まじめに話す人がいて、「それを言うなら兵隊さんにも外出の自由はなかった、兵隊は奴隷状態だったというのか?」と主張する人がいます。もちろん兵役を「奴隷的苦役」と批判することによって反論してもよいのですが、当時の日本の社会通念に照らしてもこれは無茶苦茶です。兵役は憲法上の根拠をもち、かつ当時においては一般に名誉なことと考えられていました。スティグマ化されていたのは兵役に服することではなく、徴兵検査で撥ねられることの方だったのです(参考)。他方、性道徳の二重規範により「醜業」と蔑まれた売春の方は、当時においてもこれを強制することは不法行為であり、外出の自由の制限は強制売春を構成する要因の1つであったわけです。
ジョンお姉さんや上記記事のインタビュアーから想起するのは、差別街宣の参加者がしばしば道路使用許可をとっていることを盾に「表現の自由」を主張する(そして抗議者にはその「自由」がないと主張する)ことですね。彼らにとって、そもそも表現の自由とは警察の許可をとることによって獲得されるものなのでしょう。こういう自由観の持ち主であれば、「外出の許可が与えられた」ことを「外出の自由」と混同するのは無理もないことなのかもしれません。