NHK「JAPANデビュー」訴訟高裁判決の問題点

「頑張れ日本」主導の対『朝日新聞』訴訟のニュースに接したのがきっかけで、同じような面々が主導していたNHKへの訴訟のことを改めて調べてみました。
想像するに取材する側には「見世物にされた先住民はさぞ屈辱的な思いをしたに違いない」という思い込み−−それゆえ「人間動物園」への批判的な視点を容易に共有してもらえるだろうという思い込みはあったのでしょう。この推測が当たっていたとすればその点は取材者側の反省すべきところだと思いますが、他方で高裁判決にも疑問が残ります。

 確かに、当時の博覧会において、植民地の人たちの暮らしぶりなどを展示することは、珍しいものを見たいという市民たちの好奇心を満たすものであり、一種の「見せ物」であったことは否定できないと思われる。しかしその場合の「見せ物」という言葉の意味合いは、当時の社会では、歌舞伎や曲芸なども含めて、広い意味での娯楽全般を指すものとして用いられており、そこになんらかの差別意識がなかったわけではないであろうが、その程度は軽いもので、深刻なものではなかったであろうと思われる。(後略)

判決は続けて、「人間動物園」という言葉が当時はなかったことを「差別意識」が「軽いもの」であったことの証左としています。また、これに先立つ箇所では「見せ物」という言葉が「価値中立的」であるのに対して「人間動物園」は「人種差別的」であり、パイワン族の集合写真の場面につける字幕は「見せ物」でよかったはず、としています。
これは第一に植民地主義が孕む差別を過小評価していると同時に、「人間動物園」という述語を用いている研究者の意図を誤解してはいないでしょうか? 「人種差別的」なのは「人間動物園」という単語そのものではなく、この単語によって研究者が表現しようとした植民地への眼差しの方であるはずです。