リフトン『思想改造の心理』(1)

  • ロバート・J・リフトン(小野泰博訳)、『思想改造の心理 中国における洗脳の研究』、誠信書房、1979年

刊行年から分かる通り、古典的と言ってよい著作です。原著に至っては1961年のものです。しかし「洗脳」に関する右派の主張はすでに本書によって反駁されているということができます。

 「Brainwashing」ということばは、やがてそれ自体の生命をもって発展していった。もともとは、中国の思想注入テクニック(indoctrination techniques)のことを述べるのに用いられてきたが、いちやはくロシアやヨーロッパの研究にも適用されていった。それから、このことばは、およそ世界のどこであろうとコミュニストの行ってきたことならばどんなことにでもあてはまる言葉になっていった(中略)。しかし、別の場合には、もっと報復的な調子で使われている。例えば、南部の人種差別主義者(segregationist)が、人種平等に賛成の人をだれかれとなく(この中には合衆国の最高法廷が含まれている)「それは左翼の洗脳」によって影響されたものと非難する場合など。あるいは、弗化物注入反対(anti-flouridation=虫歯を防ぐために飲料水に弗化物を入れることに反対)、精神衛生法反対、または、実際の敵対者、ないし想像上の敵対者に対抗する反対グループなどによって無責任に使われている。
(3-4ページ)

すでにこの部分で、現在の日本における「洗脳」の用法が先取りされている感があります。

 この意味論上の(そして意味論以上の)混乱の背後には、「洗脳」というものを、他人の心を支配するための全能で、抗しがたい、しかも不可解な呪術的方法とみるイメージが働いている。もちろん洗脳はいまあげたようなことのいずれでもない。この洗脳ということばの大まかな言葉使いがされるため、このことばが、恐怖、憤懣、服従への衝動、失敗の弁明、無責任な非難や幅の広い、情動的な過激主義全体をひっくるめる好都合な表現の集合点になっている。この用語は、正確どころか、あいまいな用語法と結論できるかもしれない。(後略)
(4ページ)

はたして右派が考えるように「洗脳」は半世紀以上も効果を発揮しうるものなのか!? 次回はその点を紹介することにしましょう。