連載「慰安婦がいた時代」

昨年は(いまも、ですが)図書館の利用も制約を受けたのでチェックするのが遅れていたのですが、『世界』(岩波書店)の2019年8月号から始まっていた佐藤純氏(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター)の連載「慰安婦がいた時代――新資料とともに改めてたどる」が2020年の5月号で完結していました。

「新資料」として目を引くのは、筆者自身が古書店で入手し第7回で紹介している「美濃部資料」、日中戦争に従軍した軍医が残したと思しき資料です。1938年7月の時点で、第22師団軍医部長が中支派遣軍「管下」にある「特殊慰安婦人」が約2,000人だったと述べたという記述や、中支派遣軍がこれまで未発見の「慰安所」に関する内規を作成していたことを伺わせる記述があるとのことです。

またラムザイヤー・ハーバード大教授のせいでまたぞろリピートされている「慰安所公娼制の戦地版」と言った主張との関係で興味深いのが第2回、第3回です。第2回では1930年代はじめに内務省官僚が当時の公娼制の実態を厳しく批判していた事例が紹介されています。日本軍「慰安所」が「公娼制の戦地版」なのだとすれば、それこそが性奴隷制であったという根拠になるわけです。

最終回(第8回)では主計将校が南太平洋ティモール島での体験を戦後に戦友会誌に連載したものが援用されています。ジャワ島スラバヤで「食堂のウエイトレスとして募集」しておきながら、その後事実上将校用の「慰安婦」にさせられていたと思しき10代半ばの少女たちを、前任者が「これがヤマコ、テルコ、ハナコ……」と紹介した、とされています。『帝国の慰安婦』では朝鮮人慰安婦」に日本風の名前をつけたことをもって“日本人として扱われていた”ことの根拠としていましたが、相手がインドネシア人でも同じことだったわけです。単に日本人にとって覚えやすいということが理由なのでしょう。現代のフィリピン・パブ等でも同様なことがあると聞き及びます。