8月14日放送、NHKスペシャル、「日中は歴史にどう向き合えばいいのか」


お盆前後に、さんざん一時停止・巻き戻し・早送り…を繰り返したせいか、ビデオデッキの調子が悪くなってしまった。再生は問題なくできるのだが早送りと巻き戻しができない! 音から判断するにどっかのギアがいかれてるようで…。というわけで、途中から「巻き戻しての再確認」ができなくなっています。そのため、固有名詞を挙げることを避けている箇所がありますが他意はありません。


※番組の内容
 冒頭に「明日小泉総理が靖国神社を参拝するかどうか注目されています」といったナレーションが入り、ルーティーン的な「終戦特集」にとどまらず2006年8月15日を念頭においた(少なくとも最終編集段階では)企画であることは明白。天皇の責任にはなしが及ばない範囲でなら、荒唐無稽な南京事件否定論や「大東亜戦争」肯定論に歯止めをかけよう、という日本体制派の意図の反映か…と陰謀説を考えてみたくなる(笑)
 まずは日華平和条約(1952年)の紹介から。国民政府(以下国民党)が賠償請求権を放棄したことを指摘。国民党が戦争責任を免罪した理由は?
日華平和条約当時の外務省職員、岡田晃氏の証言。「アメリカの強い意向」で国民党と平和条約を締結、と。
 蒋介石は当初賠償も要求、しかし条約締結により国際社会による承認を獲得することを優先。中華人民共和国(以下中国)の反発。当時、中国はすでに日本との国交正常化を構想していた。その背景が朝鮮戦争。「封じ込め政策」への対抗策として。
・当時の共産党対外連絡部秘書長、張香山氏の証言。1955年、「日中両国民の友好的な関係を発展させる」という方針を決定、と(日本政府の対米追従を覆させるため)。
その頃、毛沢東周恩来の間で「二分論=ごく少数の軍国主義者に責任」が固まる。
・当時の通訳、劉徳有氏の証言。「軍国主義の復活を押さえるためには大切」と教えられた、と。さもなくば「大変なことになる」と。
中国は50年代から、経済交流のために訪中した日本人に「二分論」を伝えていた(中国外務省の公文書館所収の史料より)。「日本国民にも禍いを被らせた」と。
・当時の新華社記者、呉学文氏による「秘密の対日工作」証言。捕虜への寛大政策、民間交流を通じた働きかけ。
共産党の賠償請求権放棄の決断。
・当時の国務院外事弁公室職員、劉智剛氏の証言。人民は被害者とする以上、賠償を請求するわけにはいかない、と。
1971年、周・キッシンジャー会談。2000年公開の米側文書。「アメリカは日本の軍国主義社の再武装を支援している」(周)、「アメリカは日本の軍拡に反対」(キッシンジャー)、と。
・ウィンストン・ロード氏(元国家安全保障会議)の証言。中国の懸念は本気だったが、日本の重要性も認識していた。
日本国内での、日中国交回復をもとめる動き。田中首相・大平外相の内閣成立。「一方通交で迷惑かけてますからね」(田中)。外務省は日華平和条約を「障害」と認識。
・元外務省条約課長、栗山尚一氏の証言。「日本に関する限り、日華平和条約で戦争状態は終わった」。「サンフランシスコ講和の一環」。
田中角栄の訪中、初日の晩餐会での発言=「多大なご迷惑」。中国側の反発。「スカートに水をかけた時に詫びることば」だ、と。しかし田中の発言は日本側が念入りに考えたうえでのものだった、と。

・「戦争責任」の表現をめぐる交渉。日本側は国内の反発に関して中国側の「理解」を求める。周恩来は田中・大平の「熱意と決意」を評価、との証言。中国側の最大の要求は「台湾」問題だった。戦争責任問題に深入りしなかったのが交渉成功のカギ(日本側証言)。中国国内の反対論(戦争責任を免罪することへの)に対して、中国政府は「二分論」に基づく「説得教育」を展開。説得教育担当者の証言「毛沢東周恩来の決定だから従え、と指導」と。日本は二分論を「中国国内の論理」と受けとめていた。80年代にその齟齬が表面化(中曽根の靖国参拝)。当時の中国大使の証言、「中国の反発は予想外だった」。胡耀邦との会談。「再度参拝があると、中国政府指導者の立場が危うくなる。中国国民を納得させられない。」
・95年の自社さ連立政権、「村山談話」。中国では江沢民体制が成立。「愛国主義教育」への注力。来日時の宮中晩餐会でも「二分論」を強調。
・2005年の「反日デモ」のフッテージ。元中国大使の証言。情報化などにより、民衆の声を中国政府が無視できなくなっている、と。

 以上が前半部分。後半は4人の出席者(プラス司会者)による討論。出演者は次の通り(番組内での紹介順)
司会:五十嵐公利(NHK解説委員)
毛利和子(早稲田大学教授) 「相互理解に基づく日中関係が重要」
坂元一哉大阪大学教授) 「謝罪より違いを認めあうべき」
楊伯江(中国現代国際関係研究員) 「歴史を否定する言動が問題」
アンドリュー・ホルバート(東京経済大学国際歴史和解研究所) 「日本は戦争責任に向き合うべき」
「 」内は、出演者紹介の際にテロップで表示された、各出演者の基本的スタンス。
 討論の流れと印象的な発言は次の通り。
・二分論について:
戦争犯罪は国家の責任、それゆえ「一部の軍国主義者」に責任ありとする二分論はミスリーディング(坂元)。二分論は便利だが、国民も戦争を支持していたことを隠蔽する点で欺瞞的、記憶喪失を促進(ホルバート)。しかし二分論をとらなかったら日中友好にマイナス(楊)。現在の日本ではかつてより戦争責任を巡る議論が深化している側面を評価、国交回復時に日本は「国家責任」について独自の明確な考えがあったのか? アメリカ主導の戦後処理に従っただけではないか? と問題提起(楊)。日本の外交当局は日中共同声明、外相記者会見で「決着した」という認識だった、二分論は当時としては「それしかなかった」が、問題は日本側がそれをどう受けとめたか、二分論を対中政策にどう反映させるかが課題だったのに、それを理解してなかった(毛利)。
・85年の中曽根参拝への中国の反発について:
A級戦犯合祀は78年だから、このタイムラグは反発が中国の国内的な事情によるものであることを示しているのでは(坂元)? 85年の参拝がそれまでとは性格がちがっていた、また日本が「政治大国」を目指す動きも背景(楊)。日本にとっては意外だったかもしれないが、72年以降積み残された問題がいろいろとあった(毛利)。70年代の日本人は戦争責任問題についてほとんど考えていなかった、日本にとって日中関係はなによりも経済関係であり、中国側もODAのためにそれを受けいれた(ホルバート)。アメリカとの戦争にくらべると、日中戦争についての知識・反省・研究が乏しいのは事実(坂元)。
村山談話の中国における評価:
問題は「謝罪」ではなく(すでに謝罪しているから)、それを打ち消すような言動(楊)。中国側の態度の変化は「環境の変化」によるもの、中国における情報の自由化、日本の政治的価値観の多様化(楊)。道義的な意味での戦後処理は(容易には)終わらない(毛利)。相手が何をもとめ・何を拒否しているかではなく、あくまで「自分」でやることが大切、「謝罪」ではなく「心のもち方を語る」べき(坂元)。過去を忘れることはしない、中国側の感情を理解するようつとめる(ただし全面的に同意するわけではない)、過去が未来を阻害しないよう努力、という「心のもち方」三原則(坂元)。ドイツの戦後処理は「心のもち方」ではない(ホルバート)。日本のように裕福な国が、なぜ高齢化した被害者になにもしないのか? 個々の日本人はそんなにケチじゃないはずなのに、日本のイメージを悪くしている、ドイツのように立法措置はとれないのか(ホルバート)。72年の解決は相互の道義・信頼を前提とし、制度・機構に保証されたものではなかった(毛利)。
・「反日デモ」が象徴する状況の変化、愛国主義教育:
反日教育ではない、中国人は教科書からではなく、親から子への語り継ぎによって日本についてのイメージを得ている(楊)。日本の戦後における歩みをもっと中国で教えるべきではある、日本は過去を、中国は戦後をもっと教えるべき(楊)。反日デモではなく反小泉デモだった(楊)。中国側の事情は理解できるが、日本への憎悪だけが教えられていないか? 近代史に限っても他の側面はいろいろあったはず、教育による憎悪の再生産を危惧(毛利)。
・具体的提言:
償いをした方が日本のイメージはよくなる、なぜしようとしないのか理解できない(ホルバート)。政府は民間の交流を促進せよ(ホルバート)。歴史認識には埋めきれない溝がある、なぜ溝があるのかを理解し、折りあうべき(坂元)。日中友好より、まずは「喧嘩しない」ことから始める(坂元)。(共同の)歴史研究も長い目で成果を期待すべき(坂元)。歴史研究それ自体に現時点では効果はない、続けることに意味がある(毛利)。二つのネーションステートの歴史が「一致」するとしたらその方がおかしい(毛利)。日中での草の根の交流促進、日中が相互に戦略的な位置づけを明確化すること(日本との友好は中国のイメージ向上にも重要、日本には戦略的な対中政策を欠いているのでは?)、靖国が日中の歴史認識の違いの「象徴」になり、必要以上の注目を集めてしまった(楊)。日中相互の努力が大切(坂元)。「和解」は現実的ではない、アジアに対する日本と中国の責任を果たすために協力する、それを通じた信頼醸成が大切(毛利)。

※感想
 前半は日中それぞれが国交回復を急ぐなか、「二分論」は便利だったが、そこで積み残された問題が今日噴出している…という立場からのまとめ。中国側の問題点を指摘するとすれば、共産党の圧倒的な権勢を背景に「二分論」を国民に押しつけ、中国国民を「納得」させる努力を怠ったこと、であろう。日本側も、「二分論」を前提とした国交回復が日本側になにを要求しているのか、きちんと考えてこなかったという問題がある。万一80年代に国交回復がずれ込んでいたら…かなり様子が違っていたであろうと思われる。後半の討論の中でも指摘されていたことだが、中国にとってもはや世論はあっさり無視してしまえる要因ではなくなっており、「説得教育」の不十分さがもたらした帰結に中国政府自身が手を焼いている…という側面が多分にありそうである。日本の靖国参拝支持者は「愛国主義教育」を焦点化して、共産党政府が大衆を動員しているかのような図式で考えていることが多いが(そしてそうした側面がないわけでは当然ないだろうが)、もはや中国政府は市民を単なる操作の対象としては扱えなくなっているのだ、という視点をもっておくことは非常に重要であると思われる(「強く出れば中国政府は折れる」という強硬策が中国政府を追い込んでしまう可能性が少なくないため)。

後半はカナダ人(ハンガリー系だそうだ)のホルバート氏に憎まれ役を押しつける…という無難なつくりではあるが、二分論の「便利さ」と同時に欺瞞性にも踏み込んだのはよかったのではないか。そのホルバート氏にしても、日本の保守派に対してきちんと逃げ道を残してくれている。「法的」な問題はすでに解決済みで、あとはほんのわずかの出費で国際的なイメージをずいぶんと向上させることができるのに、と。前日の番組での南京事件に関する描写についても同じことが言えるが、保守派が(現時点では)逆立ちしても呑めそうにない主張を抑制し、その範囲でできる限りのことは言った、といったところであろうか。
楊氏の指摘でもっとも厳しかった(と同時にもっとも正鵠を射ていた)のは、現在の日本政府にそもそも確固たる対中政策・戦略があるのか? というものであろう。二分論がどれほど欺瞞をはらんでいるにせよ、それはもともとアメリカ主導の戦後処理方針に原型をもつものである。嫌中厨にちょっと考えてもらいたいのは、中国がこれまで公式にはただの一度も天皇の戦争責任を問題にしたことがない、というのは例えば(戦後すぐの)オーストラリアの対日姿勢にくらべればずいぶんと寛大な態度ではないか、ということである。別にそれを中国の善意だとか好意の表現であると考える必要はまったくない。あちらにはあちらの事情があってのことだと勘ぐって多いに結構。しかし結果として日本にとっては悪くない取引であったにもかかわらず、その前提を反古にするかのようなふるまいを日本の政治家がたびたび行なってきた、ということは否定できないのではないか? 二分論を否定して靖国参拝を肯定するなら、最終的にアメリカの歴史観にも異を唱えることになる…という覚悟のある人間がどれだけいるのだろうか?
坂元一哉というのはずいぶんと慇懃に手前勝手なことをいう人物だな…と思ってちょっと調べてみると納得。気のせいか顔つきも安倍晋三風味。戦争責任は「国家」の責任だというのはそりゃそうだが、そのロジックで二分論を否定するならじゃあ日本として何をやるつもりなのか? 相手の評価は二次的で「自分で」どうするかが肝心というのは主体的に戦争責任問題に取り組む姿勢を見せているようで、被害者側の視点を無視する口実にもなってしまう。二国間の歴史認識に溝があるのは避け難い…というのは原理的にはその通りだが、しかしいま日中間で問題になってるのはそんな微妙な事柄じゃないだろうが。国会議員にも「南京事件はでっちあげ」などと主張する人間がいるという事態を認識論的相対主義で相対化するのは欺瞞以外のなにものでもなかろう。