旧軍幹部の「新日本軍」構想


1週間ほど前のニュースだが、機密解除された米公文書により、旧日本軍幹部の「新日本軍」構想が明らかになった、との報道があった。

『新日本軍』計画 幻に


 【ワシントン=共同】旧日本軍幹部が太平洋戦争後の一九五〇年前後、「新日本軍」に相当する軍組織の設立を独自に計画していたことが二十日、機密指定を解除された米公文書で判明した。構想は連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下で進み、河辺虎四郎元陸軍中将(故人、以下同)らが立案。最高司令官には宇垣一成元大将(元陸相)を想定しており、当時の吉田茂首相にも提案していた。


 戦後史に詳しい複数の専門家によると、服部卓四郎元陸軍大佐ら佐官クラスの再軍備構想は知られているが、河辺氏ら将官級による新軍構想は分かっていなかった。毒ガス隊など三部隊の編成を目指した河辺氏らの構想は最終的に却下され「幻の計画」に終わった。


 文書は、GHQや中央情報局(CIA)の記録を保管する米国立公文書館で見つかった。


 河辺氏の経歴や活動を伝える秘密メモによると、河辺氏は警察予備隊発足前の五〇年二月ごろ(1)毒ガス隊(2)機関銃隊(3)戦車隊−からなる近代装備の「警察軍」構想を立案。


 五一年に入ると宇垣氏を「最高司令官」に、河辺氏を「参謀総長」に充てることを「日本の地下政府が決定した」と記載している。


 「地下政府」は、公職追放された旧軍幹部らが日米両当局にさまざまな影響力を行使するためにつくったグループを指すとみられる。


 しかし河辺氏らの構想は採用されず、GHQのマッカーサー最高司令官は朝鮮戦争発生直後の五〇年七月に陸上自衛隊の前身である警察予備隊の創設を指示。再軍備を通じた旧軍将官復権は実現しなかった。
東京新聞、下線は引用者)

「地下政府」っていかにも悪の組織っぽいが、ぬけぬけと毒ガス隊の創設を構想するあたり、アメリカが日本軍の毒ガス戦、細菌戦を免責したことの歪みが早くも現れていたことになる。
河辺虎四郎中将(敗戦当時参謀次長)といえば、ドイツ駐在武官を務めた経験をもち、ポツダム宣言受諾後、正式降伏のための打ち合わせを行なう使節としてマニラに赴いた人物である。大江志乃夫の『天皇の軍隊 帝国陸海軍の特質と全貌』(『昭和の歴史3』、小学館)によれば、マニラに到着した河辺にGII部長ウィロビー少将から煙草とウィスキーの差し入れがあったという。この時点ですでに、ウィロビーは旧軍関係者を「反共産主義活動の相棒として取り込む」ことを考えていたからである。1947年、ウィロビーは河辺虎四郎を筆頭に、有末精三元中将、中村勝平元海軍少将、服部卓四朗元大佐らを「GHQ歴史課勤務」とし、戦史編纂の委嘱を名目に彼ら*1を保護した。この時点ですでに「逆コース」の種はまかれていたわけだ。日本の再軍備にあたっては当時の首相吉田茂が旧軍関係者の関与を嫌ったとされ、中日新聞の報道ではこの点にも触れられている。

 しかし河辺氏らの構想は採用されず、GHQのマッカーサー最高司令官は朝鮮戦争発生直後の五○年七月に陸上自衛隊の前身である警察予備隊の創設を指示。再軍備を通じた旧軍将官復権は実現しなかった。専門家は、旧軍色を嫌った吉田首相が河辺案を拒否したと分析している。
中日新聞

この構想の頓挫は、吉田茂アメリカの要求を呑みつつもGHQ右派の言いなりにはなるまいとしたことの帰結の一つなのであろう。もっとも、旧軍幹部を完全に排除することはかなわず*2、ウィロビーに保護された参謀たちのうち、後の自衛隊幹部となった人物は少なくない。

*1:そうした旧軍関係者の一人として加登川幸太郎元中佐の名前があがっているのだが、この加登川氏は『偕行』が南京事件を否定する目論見で「証言による南京戦史」を企画した際、期待に反し虐殺を認める証言が集まってしまったという事態に直面して、最終回に「中国国民に深く詫びる」という総括を書いた人物である。犠牲者数の推定がいかにも過少であるという問題こそあるものの、旧軍関係者として明確に謝罪した点は評価すべきであろう。

*2:現実問題として、旧軍関係者を抜きに軍事組織を再建することはできなかったであろうし。