「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説?
「ごぼう 戦犯」でググるとたくさん出てくるのが、「連合軍の捕虜にごぼうを食べさせたところ、木の根を食べさせた虐待だとして戦犯として訴追され、有罪になったケースがある」というはなしである。実はこのはなしは、子どもの頃に母親から聞かされたことがあった(母親は「木の根」ではなく「木の皮」と言っていて、ささがきにしたのであれば「皮」の方がぴったりくるような気もするが、まあそれはどうでもいいはなしである)。もし「東京裁判史観」なるものが存在するとすれば、それは「戦争に負けた以上A 級戦犯が裁かれるのはしかたないが、BC級裁判には不当な判決が多かった」という認識を核にしているのではないか、と私は考えているのだが、このエピソードはいわば「不当な戦犯裁判」の象徴として語られているわけである。
だがちょっと考えれば、どうもこのはなしは妙である。まず第一に、ごぼうに関する誤解を解くのがそんなに困難であるとは思えないこと。仮にそのようなことが訴因として挙げられたのであれば、当然被告側も反論したはずである。ごぼうはともかく根菜を食べる食習慣は欧米人にもある。戦犯裁判に関わるだけの教養のある人物が、「国が変われば食材も変わる」ことを理解できないとは到底思えない。「その無理が通るのが復讐裁判たる所以だ」と反論があるかもしれないが、仮に裁判の動機に「復讐」があったところで連合国は「裁判」という手間ひまかかる手段をとることを選択したのである。自分でも無理と思っている判決を押し通してわざわざ裁判の正統性を貶めるようなことをするとは思えない。
またB級戦犯裁判については、判決後に上級機関が裁判内容をチェックする手続きがとられており、このプロセスで減刑されたケースは相当数にのぼる(林博史、『BC級戦犯裁判』、岩波新書)。例えばアメリカ軍が主催したB級戦犯裁判でもっとも規模が大きかったのは横浜裁判であるが、そこでは124の死刑判決が出たのに対して死刑確認は51件で、半数以上が減刑されていることがわかる(さらに、死刑判決についてはマッカーサーの承認も必要とされていた)。それなりに慎重を期して刑を執行しようとしていたことがうかがえる。
第3に、捕虜虐待の典型は殴打等の身体的虐待、過酷な労働の強制、劣悪な生活環境などであろうが、およそ「木の根=ごぼうを食べさせた」ことが唯一の訴因で有罪判決を出すなどということは非常に考えにくい。他にもっと深刻な虐待の事例をとりあげることができたはずだからである。
さて、自分でもなぜだか説明できないのだが、この件が急に気になりだして調べてみた。ネット上の記述をみてみると、そのほとんど(というよりすべてと言ってもよい)が「〜ということがあったそうだ」という形式をとっていること、はなしの細部に細かな食い違いがあること(アメリカ軍捕虜とするものが多いが、オーストラリア軍捕虜とするものもある)、肝心の戦犯の氏名を初め具体的な情報を欠いているものが多いこと(最も具体的な情報で「陸軍中尉」とか「横浜裁判で」といった具合)など、都市伝説の特徴を備えている。そうしたなかで、興味をひく情報がいくつかあった。 まずは昭和27年、第015回国会参議院法務委員会の議事録である。「戦犯者の釈放及び減刑等」が議題になっているのだが、そこでの政府委員の答弁のなかに次のような一節がある。
(…)裁判のときには相当国情が違い、日本の事情を知らない人が裁判をしたため不当と言えば不当と言える裁判があるのだ。一例としては、俘虜収容所の所員が、終戦真際食糧が非常に不足している。併しこれに対してできるだけいい食物を与えたいというのでごぼうを買つて来て食わした。その当時ごぼうというのは我々はとても食えなかつたのだ。我々はもう大豆を二日も三日も続けて食うというような時代で、ごぼうなんてものはなかなか貴重品であつた。そのごぼうを食わしたところが、それが乾パン代りに木の根を食わして虐待したというので、五年の刑を受けたという、こういう例もあるのだという話をしましたが(…)政府委員がいうことだからまさか事実無根ということはなかろうと思うが、ネット上では「無期懲役」とされているケースが多いこと(例えばここ)とまずは大きな齟齬がある。またごぼうの一件が数ある訴因の一つだったのか、それとも全てだったのかは不明である。
次に、固有名詞を含む具体的な情報が存在しているのが、「人力検索はてな」でのこの件に関する質問への回答である。そこには直江津収容所の職員、またそれとは別に村山有氏という人物が特定されており、また東京裁判の弁護団副団長であった清瀬一郎の著書『秘録 東京裁判』(中公文庫)にもその件に関する記述があるとされている。だが、村山氏に関する情報源としてあげられたサイト(現在は閉鎖されているがキャッシュが残っている*1)には「村山も同僚の捕虜に告発され戦犯容疑者としてGHQに逮捕された」という記述があるものの、起訴された、有罪になったという記述はない。アメリカで高等教育を受けたという村山氏がきちんと反論できなかったとは到底思えないのだが…。また清瀬氏が著書に記しているというのは、「裁判手続き」という章のなかの「翻訳問題」という節で次のように書いていることを指している。
ある俘虜収容所では、米人俘虜に雄牛の尾を食わせたということで、問題を起こしたことがある。これは牛蒡をオックス・テイルと翻訳したことより起こったこととわかった。また他の収容所では、毎度スープの内に腐った豆を入れたということで不平が出た。これは豆腐をロツン・ビーンズと翻訳したことに基づくものであることがわかった。牛蒡も豆腐汁も、日本人の感覚ではまずごちそうのうちである。「オックス・テイル」が問題になったというのはちょっと妙なはなしで、牛テイルはシチューなどに使う食材である(私も好んでつくる)。また仮にこうしたことがあったとしても清瀬氏自身述べるように所詮は「翻訳問題」であり、簡単に申し開きがつくはずのことである(清瀬氏も、その結果有罪判決が下ったとは書いていない)。
残るは直江津収容所での「虐待」事件であるが、この事件を扱った上坂冬子の『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』(文藝春秋)には、収容所長の反論が紹介されており、そのなかになるほど「木の根を食べさせたと訴えているのは牛蒡のことで、これは日本では立派な野菜であり、高価なものなのだ」という一節(引用ではなく上坂氏による要約だが)がある。これから判断するに、元捕虜たちがごぼうを木の根と誤解し、虐待の一例として訴えたという事実それ自体は確かにあったようである。だが、判決でもそれが虐待として認定されたのかどうかは不明であるし、なによりごぼうの一件は数ある訴因の一つに過ぎない。絞首刑になった収容所の職員(収容所長は死刑にはならなかった)は捕虜を殴打したこと、体力の限界を超える労働を強制したこと、劣悪な衛生環境を放置したこと(トイレを歩いた後の靴を舐めさせた、といった虐待も含まれる)などで訴えられている。被告たちも殴打などの事実は否定しておらず、300人のオーストラリア人捕虜のうち、60人ほどが死亡したとされていることを考えれば、ごぼうの一件が万一判決にも採用されていたとしても、数ある虐待の一つとしてとりあげられたにすぎないことがわかる。もちろん、過酷な労働の強制、劣悪な栄養状態・衛生状態に関して収容所の現場職員の責任を問うことがどれだけ正当であるかは、また絞首刑という量刑が妥当であったかについては大いに議論の余地はあるものの、虐待の事実そのものは確かにあったし、他方で「ごぼうを食べさせた」はせいぜい虐待の一例としてあげられたにすぎず(判決でも採用されたかどうかについては判断を保留)、少なくとも「ごぼうを食べさせたからという理由で有罪になった」とは到底言えそうにない。事実無根とまでは言えないまでも、ほとんど都市伝説化していると言って過言ではないと思う。戦犯裁判の不当性を主張するなら、曖昧な根拠で戦犯裁判を非難することも辞めるべきであろう。なお、上坂冬子の『貝になった男』には、基本的な点で戦犯裁判に関する事実誤認があり、「連合国による戦犯裁判を認めない」という彼女の主張の説得力を大いに損なっている。だいたい、ポツダム宣言には戦争犯罪人を裁くという一項が含まれていたのであり、日本はそれを受諾して降伏したのであるから、「勝者による一方的な裁判」というのはそれこそ一方的な誹謗であろう。法的根拠に問題が残る「平和に対する罪」とは異なり、捕虜への虐待は異論の余地のない戦争犯罪だからである。
追記:このエントリの趣旨は「上坂冬子の『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』(文藝春秋)にこの話が載っている」というよりもむしろ、『貝になった男 直江津捕虜収容所事件』には「ゴボウを捕虜に食べさせたというだけの理由で戦犯裁判で有罪になった人物がいる」という話が載っていない、というものです。
*1:http://64.233.167.104/search?q=cache:IX1dYV-IpksJ:www.ne.jp/asahi/kami/asi-pon/30.html%20戦時下の信州人移民 %20村山有&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1&lr=lang_ja&client