戦犯裁判が裁いたのは日本人の人権感覚・法感覚である
以前にも「東京裁判史観」が「B級戦犯の裁判には不当なものが多かった」という認識を含んでいる、と指摘した。こうした認識は裁判直後から(あるいはその進行中にすでに)広がっていたものである。例えば、昨日のエントリで引用した杉山昌作氏の質問にある次のような一節が、そのあたりの認識を端的にあらわしている。
申すまでもなくこの裁判は各国各地で行われておりましたので、従つてその間に量刑上の標準というふうなものについて、統一した基準があつたとも思われませんし、又この裁判は犯罪事実の行われたあと相当の時日を経過して行われましたので、そこに援用されておりまする証拠というふうなものも不十分ではなかつたか、殊に誤まれる記憶或いは間違つた記憶に等が証拠として援用されていたような場合もありはしないかということが惧れられます。又裁判におきまする答弁にいたしましても、言葉の関係で非常に不十分にしかできなかつた、通訳も下手だつたというようなことがあるということは容易に想像し得る問題でありますので、従つて同じような行為に対しても、或る所では比較的軽かつたが、或る所では非常に重い罰を受けているというものもありましようし、同名異人であるというふうな場合もあるかと思いますので(後略)。
岡田克也じゃないが「東京裁判そのものに対して、一〇〇%これをこれでいいという気持ちは私も持っておりません」*1。B級戦犯裁判についても同様。しかし指摘しておかねばならないのは、まず第一に、B級戦犯裁判への非難のほとんどが具体性を欠くということである。裁判を批判する以上、当然裁判記録に依拠してどこがどう不当だったのかを指摘するのが筋というもの。一般論として批判するなら、さらに可能な限りの事例をチェックして総数のうち不当性が高いものがどの程度あるのか、を調べる必要があろう(日本の刑事裁判でも冤罪は発生するが、だからといって刑事裁判など認めん! と言えるか?)。ところが、「ゴボウを食べさせて有罪になった戦犯」のエピソードでも明らかになったように、大部分の人間は具体的な根拠もなく「B級戦犯裁判は不当だったっぽい」というイメージを抱いてしまっているのである。おそらく、当初においては、具体的な根拠をもつ批判もあったのだろう。しかし戦後世代への歴史の継承という観点から考える限り、「具体的根拠のないイメージの伝播」が起きていると言わざるを得ない。私自身も「なんかおかしかったらしいよ」と親から伝えられている。具体的にどの裁判の、どの訴訟指揮なりどの証拠採用なりどの事実認定が不当だったのかを指摘しないB級戦犯裁判批判は無効だ、というごく当たり前のことをわれわれは思い出す必要がある。
第二に、「ゴボウ」のエピソードを調べていて改めて気づいたことであるが、当時の日本人は「当時の欧米人、そして今日の日本人であれば人権侵害だと考えるようなことを、当たり前のことだと思っていた」という事実を考慮に入れる必要がある。日本軍と言えばビンタ、ビンタと言えば日本軍というくらい旧日本軍には体罰による私的制裁がまかり通っていたわけだが、当時の日本人は「捕虜を殴った収容所員が処罰されたことは不当だ」と考えていた可能性が大いにある。もちろん、こんな裁判批判は不当である。なにしろ旧日本軍においてすら、公式には私的制裁は軍律違反だったのだから。B級戦犯裁判を体験、ないし見聞した人々が漏らす不満が当時の日本人の人権感覚(の希薄さ)に起因するものではないのか? という批判的検証が必要だろう。
「裁判ではなく、判決と刑の執行だけを受諾した」と真顔で主張する(それでいて「平和に対する罪」は事後法だからけしからんとか言う)人々の法感覚が一体どうなっているのか不思議でならないのだが、それで言えば南京事件に関して「便衣兵を処刑するには裁判が必要だという根拠を示せ」と主張する人々の法感覚もそう。南京事件否定論者が忘れているのは、「法的な手続きを踏まずに人を殺してはならない」という大原則である。戦闘中に敵兵を殺害するのにいちいち法的手続きがいらないのは、手続きを踏んでおこなわれる戦争それ自体が合法的だからに過ぎない。「殺してはいけない」という主張に根拠は必要ない。根拠を示す必要があるのは、常に、例外なく、「殺してよい」と主張する側なのである。「なぜ捕虜を殺してはいけないのか?」と最後まで思っていた戦犯もきっといたに違いない。しかし元はと言えば、日本軍が戦時国際法に関する教育を意図的にネグったからそういう事態を招いたのである。
*1:まずなにより、被告が少ないよ。