田中宏巳、『BC級戦犯』、ちくま新書

著者は本書執筆当時防衛大学校教授。外務省所蔵の関連資料が98年に公開され、特集を組んだ読売新聞のプロジェクトに参加したこと、およびオーストラリアの国立戦争記念館所蔵の資料を閲覧したことなどの成果である。
著者は自身の狙いを次のように語っている。

本書の目的は、太平洋戦争を総合的多面的に論じながら、戦争の一部分としてBC級戦争犯罪を取り上げることである。換言すると、戦争犯罪の背景まで包含する戦争の歴史を組み立て、その中で戦争を考え、戦争犯罪を検証することであった。しかし「二兎を追って一兎も得ず」のことわざ通りにならないように努めたつもりであったが、どうも二兎を捕らえそこなったのではないかと不安にかられている。

一読した印象としては、「やはり不安は的中してるんじゃぁ」というもの。しかしその原因の大半は、新書というフォーマットにあると思う。もともと新書で書けるテーマだとは思えない。他方、「戦争犯罪の背景まで包含する戦争の歴史を組み立て、その中で戦争を考え、戦争犯罪を検証する」という作業は、例えば日中戦争についてはそれなりに行なわれてきている。しかし十五年戦争全体についてそうした見取り図を描こう、その際の手がかりとしてBC級戦争犯罪を使おう、という意図はよく理解できるし、実際戦犯裁判での訴因を見ていけば各戦線で日本軍が誰と、どのような戦いをしたのかが見えてはくる。ただでさえスペースが限られているのに、上記の目論見を達成するうえでほとんど必要性のない記述が多い(典型は第1部第2章第2節、第2部の最初の2章)ので、後半での裁判についての記述が具体性を欠く一般論にほとんど終始しているのは、せっかく貴重な資料にあたっていながらもったいない。
また、BC級戦犯裁判については他の文献でも指摘されていることだが、敗戦時の日本軍による文書焼却が冤罪や過剰な量刑に繋がったことが本書でも指摘されている(144-145頁)。ある部隊がどの期間にどの地域で作戦行動を行なっていたか、また部隊の指揮命令系統はどうなっていたか、といった情報を軍の公文書によって証明できれば裁きを免れることができたケースがあったのだろうと推測できるが、残念ながら具体的な事例の紹介はない。


面白いのは、中国共産党の戦犯裁判に対する本書の評価である。敗戦直後の時点では正統政府が国民党政府であると考えられていたことをふまえ、「すべてのBC級裁判の法律的根拠が薄弱であることを考慮すると、新中国の法廷が下した判決に、正当性があるかないかを議論してもあまり意味がない」としつつ、では共産党による裁判を批判するのかと言えばさにあらず、「肝心なことは、公判を開く原因になったBC級に相当する戦争犯罪行為があったかどうかである」という観点から、「新中国の法廷は、連合国七カ国の裁判よりましな点が多かった」と結論している(202-3頁、また159頁でも「最も厳格な証拠調べが行われ」という評価が下されている)。一つには他の法廷に比べて取り調べに十分な時間をかけたこと、また日本軍の残した文書を大量に押収できたという事情がその背景にあり、また「裁くというより反省を迫るやり方」だったと評価している(著者が防衛大の教官だったということを、これを読むネトウヨ諸氏は忘れないように)。
このような評価の前提にあるのが、次のような著者の「戦犯裁判」観である。

こうした事例〔手続き上瑕疵がある戦犯裁判の例。引用者〕を引き合いに出してBC級裁判を非難するのは、「裁判」としてこだわっているからであろう。「裁判」ではなく、文明の名の下に、よく制御された勝者の復讐と考えれば、その内容が少々おかしくても我慢ができる。だが裁判の手続きがおかしくても、被告をつくり出した事案つまり戦争犯罪といわれる事件の多くは、現実に起こったことであった。

本書は日本軍による戦争犯罪そのものについては免罪したり安易に相対化することはしておらず、例えば二度にわたって「鉄拳」制裁が他国から捕虜や民間人への虐待と見なされてもしかたないという趣旨のことを述べているし、「現地調達主義」についても民心の離反を招いて当然、と評価している。著者はまた、裁判がなければ戦地に残された日本兵が私的復讐にあう事例が増えていたかもしれない、と示唆する。抑留中の日本兵(戦犯容疑者)への虐待にも言及しているが、日本軍の捕虜となった連合軍兵士の生存率が(捕虜となった日本軍兵士の生存率に比べて)際立って低いこともちゃんとわかるような記述となっている。やはり米軍の豊かさは際立っており、米軍の捕虜収容所では日本人の間でのピンハネ等があってもなお十分な食料が行き渡った、とのこと。その他、不当に思える判決が戦犯裁判の初期に多いこと(逆にいえば、ある時期からより慎重な審査が行われるようになったと言うこと)、直接日本軍とは抗戦していないフランスの戦犯裁判が際立って厳しいことなどの指摘は、一次資料に依拠する研究ならではの成果かもしれない。


2点ほど異議を述べておきたい。186頁で「共同謀議という根拠不明の法理論」という表現があるが、「共同謀議」は英米法では別に突飛な発想ではないわけで、ちょっと誤解があるのではないだろうか。また、同じ事件であるが、「米軍人三人を処刑したかどで日本軍人四二人が死刑」という判決が下ったのち再審、再々審を経て最終的に死刑が七人にまで減ったケースについて、「はからずも戦犯裁判にひそむ企図〔=復讐。引用者〕を暴露し、裁判の限界を露呈してしまった」と評しているのであるが(186-7頁)、事実上の三審制アメリカ主催の法廷にはじめからビルトインされていたしくみなのであって、死刑を七人にまで減らしたのは一方では裁判制度がそれなりにきちんと機能したことを物語ってもいるはずである。