牛村圭、『「勝者の裁き」に向きあって―東京裁判をよみなおす』、ちくま新書

本書の主役、重光葵の著書『昭和の動乱』から本書は次の一節を引用している。

一旦終戦となると、忽ちにして政治家も実業家も、恰も日本は戦前平時の状態に復帰したもののように考え、終にいは、国際関係は旧に復し、通商すら直ちに自由に開けるものと軽信するものが少なくなく、(…)全体的に日本の運命が的の手中に陥った、という冷厳なる敗戦の事実を認識し、責任を感ずるものが少なかった。
(61頁。中略は引用者による)

敗戦直後、講和条約すら結ばれていない時点で日本の政財界のリーダーがそのような認識だったのだとすると、60年後の今日、東京裁判が行われたのはまだ法的には戦争が継続している時期のことだったとか、例えば中国に対して日本はどのような要求をのませるつもりで戦争を始めたのか…といったことを忘れ去ったかのような東京裁判批判が蔓延するのも無理はないのかもしれない。
本書が指摘するように、「東京裁判=勝者の裁き」という批判は裁判の進行中からあったし、私のような戦後派も戦中派の親や教師から聞かされてきている。しかし「勝者の裁き」と言えばそれで東京裁判の正統性/正当性を否定できるとする見方が浅薄であるのは、例えば本書の次の指摘が明らかにしている通りである。

(…)レーリングの指摘を待つまでもなく、もっとましな形で、「勝者の裁き」を実行に移す可能性はあった。とは言え、東京法廷で採用された方法は、もちろん最良の方法などではなかったが、即決処刑のような、他のもっとひどい選択肢と比較してみれば、まだましだったとも言える。
人はついつい、起こったかもしれないより良い条件と、我が身の現状とを比較して不平不満をこぼしがちである。現在の幸せを実感することは、じつはそう簡単なことではない。もっとも、その不平不満を解消しようとしてさらなる努力を積むからこそ、世の中は進歩するという側面もあるのではあるが。
(22-23頁。下線は原文では傍点)

実際、ドイツに関してはチャーチルが「即決処刑」を当初構想していたことは当ブログでも何度か紹介してきたし、本書でもまた指摘されている。手間ひまのかからない即決処刑なら、処刑対象者が(戦犯裁判による死刑執行者より)さらに増えた可能性だって少なくない。また、「処刑」という露骨な手段を避けたければ他にいくらでも選択肢があった(原爆を東京に投下する、というものを含めて)。「勝者の裁き」が受け入れられない、という人びとは「勝者の殺戮」なら受け入れるつもりがあるのだろうか? ひょっとすると「偽善的でない分、即決処刑の方がまだましだった」と考える人はいるのかもしれない。確かに、連合国側の戦争犯罪が事実上不問に付されたこと*1、また将来アメリカの軍事行動を拘束するかもしれない事案は免罪されたこと(細菌戦、毒ガス戦)など、「偽善的」と評しうる余地が多分にあるのは事実である。しかし偽善よりは歴然とした悪の方がましというシニシズムを私は支持しない。それよりも、東京裁判(及びニュルンベルク裁判)の文明史的な意義を強調することの方がはるかに有意義ではないだろうか? なにしろ、東京裁判という先例は以後裁いた側のふるまいを批判する根拠足りうるのだから。また、なんといってもトータルで6000万人が亡くなったという未曾有の大戦争の戦後処理である、ということの重みを東京裁判批判者はどれくらい理解しているのだろうか? 「勝者の裁きなんて前例がない」というが*2、それを言うなら6000万という犠牲者数もまた前例はなく、かつそれほどの犠牲者を出しながら主要参戦国からほとんど賠償も請求されていない、ということだって前例はなかろう。


第1章ではなかなか興味深い視点(東京裁判を積極的に評価するにせよ批判するにせよ)が提示されているのだが、重光の巣鴨日記を主たる史料として重光が東京裁判をどう観察していたか…を説く第2章以降は、それによって著者がなにを明らかにしようとしているのか、正直に言ってわかりにくい。著者の重光及びファーネス弁護人への傾倒ぶりはよく伝わってくるが…。重光が「勝者の裁き」にどう向きあったかはある程度わかった、しかしじゃあ日本人が(特に戦後派の日本人が)勝者の裁きにどう向きあうべきだと著者は考えているのか? 素材は提供した、後は読者の課題だ、ということだろうか? それはそれで一つのやり方ではあろうが、もしそうならば提供する素材が十分とは言えまい。なにより、日本は中国やシンガポールなどで「勝者の裁き」すら省いた「即決処刑」を行なってきたのである。


上述したように、私も年長世代から「東京裁判は(あるいは戦犯裁判は)不公正な裁きだった」と聞かされて育った一人であり、しかもそれを多分に鵜呑みにして育った一人である。しかし、そうした東京裁判批判を口にする日本人のうち、審理プロセスについての正確な知識に基づいて批判を行なっている人間がどれだけいるのか…と言えばかなり心もとないのではないか。もちろん、学術的な東京裁判批判は存在しているが、それがどれほどの日本人に読まれているだろうか? 「勝者の裁き」という単なるイメージや断片的な知識に基づく裁判批判が横行してはいないだろうか。しかも他方では、東京裁判が多くの国民(そしてもちろん天皇)を免罪したという側面の方にはなんの文句も付けずに受け入れてきたわけである。


はなしが本題からそれるが、ソ連重光葵の訴追になぜあれほどこだわったのか…というのは確かに謎である。陸軍はドイツの勝利が決定的になれば対ソ戦を開始するつもりで関特演を行なっており、極東で日本に対して備える必要がなければ対独戦線であれほど苦労しなくてすんだはず…とソ連が考えるところまでは理解できる。また関特演当時の関東軍司令官梅津美治郎の訴追にソ連がこだわったのはわかるとして、その憤懣が重光にまで向かったのはなぜか? あるいは自殺した近衛文麿(関特演当時の首相)、吉本貞一(関特演当時の関東軍参謀長)の身代わりにされた、ということだろうか。一般に自決者は「自ら責任をとった」と評されることが多いが、こうしてみると結果的に他人を巻き添えにする結果になった、と評する余地もありそうである。

*1:もっとも、日本は米軍の爆撃機パイロットを戦争中に軍律裁判にかけ処刑しているので、連合国の「戦争犯罪」が裁かれた事例があったと言えば言えなくもないのだが。

*2:そしてこれまた繰り返し指摘してきたように、少なくとも「構想」としては前例があり、かつ日本は戦勝国としてその構想に参加していたのであるが。