ニュルンベルク・東京からバグダッドへの道


昨日大掃除をしていたら、5月10日付けの新聞が出てきた。ブログでとりあげようと思って捨てずにとっておいたものの、それっきりになっていたものである。「歴史と向き合う アントニオ・カッセーゼ氏(旧ユーゴ戦犯法廷元所長)に聞く 東京裁判の遺産は何ですか」(朝日新聞、2006年5月10日、「オピニオン」面)。カッセーゼ氏は1937年生まれ、04年から05年まではダルフール虐殺に関する国連の国際調査委員会長を務める。レーリンク判事との共著(ただしレーリンク判事の死後)として、『レーリンク判事の東京裁判・歴史的証言と展望』を出版(93年)。聞き手はローマ支局長郷富佐子。

――国際法学者として東京裁判をどう評価しますか。
 「東京裁判は(ナチスドイツを裁いた)ニュルンベルク裁判と同様に、戦争犯罪を法廷で裁いたという意味で重要でした。この法廷がなければ、恩赦か処刑かの選択肢かなかった。でも、深刻な欠陥もありました。勝者による裁きだったこと、日本人の判事や検察官がいなかったこと、死刑があったこと、控訴するしくみがなかったことです」

東京裁判への批判として「死刑があった」点を問題とするものは(特に右派からのものでは)まずお目にかかったことがない。

――後世に生かすべき裁訓はあるでしょうか。

 「ドイツと日本では、裁判に対する反応が異なります。戦後のドイツ政府は裁判結果を受け入れ、次世代へ伝えようとしました。それは国際戦犯法廷に対する姿勢からもうががえます。旧ユーゴスラビア戦争犯罪法廷でドイツはいつも非常に協力的でした。ナチスという過去の怪物と正面がら向き合い、完全に葬り去るのだという固い決意を感じました」
 「一方で、日本は同法廷の設立から消極的だという印象があります。確かに米国は広島、長崎で行ったことの裁きを受けておらず、東京裁判は公正さを欠くものでした。けれども、裁判が国際戦犯法廷への道を築いたことも確かです」

――日本では「公正に裁かれながった」という思いにこだわる人が多いのです。

 「いまの旧ユーゴ戦犯法廷には中立的な判事たちがおり、死刑もなく、控訴もできます。ニュルンベルクと東京から始まった戦犯法廷が進歩できたのです。だからこそ、日本人には東京裁判の悪かった面も咀嚼したうえで、現在の国際戦犯法廷にもっと積極的にかかわってほしい。民主主裁国家として『前へ進もう。国際社会で平和のためのりーダー国になろう』と考えてもらえないでしょうか」

日本政府が国際戦犯法廷への協力に消極的だとしたら、それは親分が消極的だからでしょう。


靖国と旧ユーゴ戦犯法廷での経験について語っている部分を省略。

――東京裁判で、「平和に対する罪」が裁かれたことを踏まえたうえで、現在の国際状況をどう捉えていますか。


 「今の世界で、戦争の違法性の判断はずっと複雑になっています。米国を含む一部の国々が、自己防衛や予防的な行動としての武力行使もあり うると主張する。米国は『イラク戦争は自己防衛だった』と言いましたが、私は他の多くの人々と同様に侵略戦争だったと考えます。『侵略』の 定義で、国際的な合意ができることはないでしょう」

――「侵略」の定義の難しさはどこにあるのですが。

 「侵略は、伝統的なものと 新しいタイプの2種類があると考えます。『古い侵略』とは、戦車などで国境を実際に越えて武力行使するもので、 国際的にも侵略と認められています。非常に疑問が残る形ではありましたが、東京裁判でも適用されました」
  「難しいのは『新しい侵略』で、遠距離ミサイルや衛星を使ったものです。国際的な合意ができておらず、明確に定義されていません。証拠の問題もあります。衛星写真を示して『これが戦争を始めようとしている証拠だ。だから我々は自己防衛のために攻撃することができる』と言っても、解釈が異なることもあります。実際、米国が示したイラク戦争前の衛星写真の解釈は間違いでした」

――「新しい侵略」を防ぐ方法はないのでしょうか。

 「イラク戦争のような『予期される侵略に対する自己防衛』を防ぐため、条件付きでそれを認めることを提案します。確固かつ説得力のある証拠を国連に示す。攻撃対象を『危険なもの』だけに限り、政府や体制をつぶすことは認めない。証拠が間違えていたと後にわかった場合、それを償う義務がある」
  「この三つをすべて満たさなければならないとすれば、防ぐことができるのではないでしょうか。間違った判断で後に戦犯法廷に立たされる可能性があると思えば、人間は戦争を始める前に考え直すと思うのです」

この条件に従えば、もちろんブッシュらは法廷に立たされることになる。

――イラクで進行中の、フセイン元大統領など旧政権幹部8人を裁く「イラク高等法廷」をどうみますか。

 「まったく公正ではありません。法廷の協定作りから始まり、判事や検察はすべて米国側が決めました。判事らの質も低い。サダムが好きな人はいませんが、法律的に彼には様々な権利があるのです。米国は東京裁判から何も学ばなかったのたと感じざるを得ません。米国から顧問のような役をしてくれと頼まれましたが、断りました」

――国際法廷を設けるべきだったのでしょうか。

  「強くそう思います。でも、米国が同意しなかったでしょう。旧ユーゴ法廷のような形を取った場合、米国は協力はできてもコントロールすることはできませんから。レーリンクは東京裁判後、こうした事態が将来あり得ると予測していました。だから帰国後も、国連で侵略の定義づくりのために奔走したのです。でも結局、その努力は報われませんでした。

ある意味でアメリカは東京裁判から「学んだ」のだと思う。すなわち、他国には一切口を出させず、他方アメリカ人は表にはでない、と。ろくでもないところだけ学んだわけだが。