小泉と特攻隊員

小泉首相が特攻隊員に強い思い入れをもっていることはよく知られており、それが靖国参拝にこだわった背景であるとも言われている。しかし自衛隊の最高司令官として、(もし戦争が起き、戦況が思わしくなければ)自衛隊員に特攻同然の任務を命令することになるかもしれない立場にあった小泉が、特攻を「命令」した側についてなにかを語ったというはなしは聞いたことがない。「命令じゃなくて志願だから」なんてゴマカシはなしね。
陸軍航空本部に所属していた丸田文雄少佐は、1944年9月におこなわれた特攻に関する会議を次のように回想している*1

集まるもの二十余名、しばしの沈黙ののち私はひとり猛然と反対した。「どうしても特攻が必要なら、まず陸軍大将から……」と言い終わらぬうちに、売国奴扱い、卑怯者扱いのバリ雑言が数人から一斉に出て、私も反論、会議は何が何だか分からぬうちに散会となった。

この回想を信じるなら、パイロットの命を犠牲にすることの意味も、特攻の効果*2もきちんと検討されることなく、まさに「空気」によって特攻作戦の採用が決まっていったことが分かる。だが、少数ながら、「空気」に断固逆らって部下に特攻を命じることを拒んだ軍人もいる*3。語り継ぐべきは、美談に仕立てられた特攻隊員の物語ではなく、そのような勇気をもった人々の存在ではないのだろうか。

*1:秦郁彦、『昭和史の謎を追う』、文春文庫、からの孫引き。上巻、517頁

*2:実際、未熟なパイロットが重い爆弾を積んだ旧式機に乗って出撃しても、その多くが撃墜されてしまったのである。

*3:例えば保阪正康が『昭和戦後史の死角』、朝日文庫、で紹介している美濃部正少佐。ちなみに美濃部少佐も、会議の席上、「ここに居合わす人々は指揮官、幕僚であって、自ら突入する人がいない」と発言している。