朝日新聞「検証・前空幕長論文の底流」
今日25日朝刊に掲載の「検証・前空幕長論文の底流 自衛隊内 潜む疎外感」。小見出しを拾うと「半世紀「評価足らぬ」鬱屈」「旧日本軍と連続性意識」「幹部教育に校長独自色 田母神氏、慰霊の新講義」となっていて、記事をお読みでない方もこれでおおよその内容は見当がつくのではないかと思う。幹部学校のある教官のものとして引用されている次の発言はなかなか示唆に富んでいる。
「隊員に歴史観を再教育するなんて、しょせん無理な話。何を手本にするのか。政府が先の大戦をきちんと総括し、我々に示してくれるのが先ではないのか」
自衛隊がその創設以来(程度については時期によるとしても)“日陰者”扱いされてきたのはまぎれもない事実だろう。他方、それにはそれだけの理由があったことも確かである。もちろん左翼=アンチ自衛隊という図式も冷戦という状況の中で歴史的に成立したものであって、新憲法誕生の過程を振り返るならば左翼政党にも軍備放棄への懐疑論や反対論があったし、他方保守政党の側にも自衛隊を“日陰者”の地位にとどめておくことに利益を見いだした者はいたわけである。同じ敗戦国であるドイツと比較するなら、日本が冷戦の最前線ではなく後方に位置していた*1ことが“日陰者”扱いを可能にする条件になっていたと言えようし、同じ条件が「政府が先の大戦をきちんと総括」することを妨げてもきた。歴代の日本政府の「先の大戦」に対する態度が曖昧であったり面従腹背的であったり欺瞞的であったりしたことは明らかである一方、講和条約の締結や日中国交回復、戦後50年などの機会に(少なくとも建前としては)それなりの方向性を表明してきたこともまた事実であって、その範囲で自衛隊が政府の態度を「手本」にし、自発的に旧軍との「断絶」について考える余地はあったはずである。そうした意味で前出の幹部の発言は言い訳がましいし、まして田母神「論文」が開陳したような非学問的な陰謀論についてまで政府の責任に帰するのは明らかに間違っている。とはいえ、連続性と断絶をめぐる自衛隊内部の混迷が歴代日本政府の、ひいては戦後日本社会のそれを反映しているというのはその通りであろう。