『「戦争」の心理学』(その1)

  • デーヴ・グロスマン&ローレン・W・クリステンセン、『「戦争」の心理学 人間における戦闘のメカニズム』、二見書房

エントリタイトルに「(その1)」とあるのは本書が2分冊ということではなく、全4部中の2部を読んだ段階でのエントリだから。
当ブログでもしばしば言及している『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)の著者グロスマンと、警察による武力行使についての研究家であるクリステンセンの共著。最初の2部では戦闘(本書では軍隊だけでなく警察が関わる銃撃戦なども含む)の際にみられる生理学的変化(脈拍の上昇、アドレナリンの分泌、失禁などなど)および知覚の歪み(視野の狭窄、微細運動能力の喪失、選択的聴覚抑制/音の強化、時間延長、記憶の歪み等々)が豊富な実例とともに解説されている。
著者らが行なっている問題提起として興味深く、また裁判員制度の導入が決まっている日本で真剣に受けとめられるべきだと思われるのは、次の点である。すなわち、兵士や警察官の公的な行動がビデオで録画されることを「未来の必然」としたうえで、本書が紹介している種々の「知覚の歪み」がビデオには記録されないことがどのような結果をもたらしうるか、である。事後にビデオをチェックすれば「当然見えているはず」「当然聞こえているはず」と思えるものが、現場の兵士や警察官には見えなかったり聞こえなかったりすることはあり得るのであって、こうした知覚の歪みに理解のない捜査官や裁判官が不当な断罪を行なうおそれがある、というのである。
本書の著者二人は軍隊や警察で講演したり訓練に協力したりする立場にあり、本書は徹底して兵士や警察官に寄り添う立場から書かれている。そのため(隠蔽されている、とまでは言わないが)非常に目立たなくされてはいるものの、同じような知覚の歪みは犯罪者の側にも起こりうるものである。最近続発した「悪質」なひき逃げ事件を受けて、産経新聞社会心理学者の碓井真史氏のコメントを中心とした(産経らしからぬ?)記事を掲載したのをご覧になった方も少なくないと思う。

(……)
―事故を起こした直後、ひき逃げ犯はどのような心理状態に陥るのか

 「大なり小なり心理的にパニック状態になり、まともな行動がとれなくなる。運転席から立てず、ハンドルを握ったままひたすら運転し続けたり、119番をしようと思っても電話のボタンを押すことができないなどのケースもあった」


―ひき逃げの検挙率は高いのに、なぜ逃げるのか

 《警察庁によると、死亡ひき逃げ事故は平成19年までの5年間で1239件発生し、1171件を検挙。検挙率は94・5%に上る》

 「検挙率を考えるのは、計画的で冷静な犯罪に限った話。そのような難しいことを考えることができる人はごくわずか」
(……)

碓井教授が紹介しているのと同様な事例が、本書でも報告されている。誤って自分の足を撃ってしまったある警察官は、何度「911」に電話しようとしても「411」(電話番号案内。日常的に使っていた)にかけてしまい、結局番号案内の交換手に「私は警官なんだが、まちがって自分を撃ったんで救急につないでくれ」と頼む羽目になったという。別の警官は、幼いわが子に心肺蘇生術を施さねばならなくなった時、妻がどうしても「911」に電話できなかった(ボタンが見えない、指が動かない)という体験を話してくれたという。「心拍数が一一五回/分になるころから微細運動の能力はしだいに損なわれていき、一七五回/分に達するころには近視野も失われる」(97ページ)ために起きる現象である。
もちろん、これらが最近連続した事件にあてはまるかどうかは経験的に確かめられるべきことであって、頭から容疑者を擁護するのが本エントリの目的ではない。また事故の結果が重大であることは疑いの余地がなく、犯人がその結果にみあった処罰を受けることにはなんの不当性もない。ただ、一般論として、みかけの「悪質さ」「凄惨さ」は必ずしも犯人の内心の「残虐さ」「冷酷さ」を反映しているとは限らない、ということが科学的に正しく啓蒙されることは必要なのではないだろうか(われわれは被害者になりうるだけではなく、加害者にもなりうるのだから)。
もう一つ、当ブログの主題である戦争犯罪のようなトラウマ的な体験についての証言、記録、回想を正しく解釈し、史実を再構成する際にも本書が説く知見は有益であるように思われる。もちろん高ストレス下での知覚変容についてよりいっそうの科学的調査を蓄積すること、歴史研究者も聞きかじりではなくある程度体系的にそうした研究成果を学ぶこと、が条件になるが。


追記:ブクマコメントより

Mukke なるほど このような知見が,そのように動転する環境をなるだけ回避する,という事に繋がるんだろうなぁ。

たしかにその通りですが、もう一つ、上述の産経の記事で碓井教授が「(はねられた人を救護するなどの)行動を自然に行うような教育が必要」と指摘しているのと同様、本書では「訓練」の重要性が強調されています。緊急通報の例で言えば、電話線を抜いたうえで繰り返し「911」(日本なら110なり119)とボタンを押す訓練をしておけば、緊急時の高ストレス下でもうまくボタンを押せるようになる、というのです。これは高ストレス下では慣れ親しんだ行動を無意識にやってしまうという「自動操縦」現象を利用したもので、不適切な訓練をしているとかえって弊害もあります。本書では、“拳銃を突きつけられた際に素早くその拳銃を奪う”訓練をみっちりやっていた警官が陥った危機の例が紹介されています。彼は友人やパートナーに頼んで銃を突きつけてもらい、それを奪い取ったらまた銃を返して同じことを繰り返す、という訓練をしていました。あるとき、いよいよこの訓練が功を奏する現場に立ち会ったのですが、犯人から見事に奪い取った銃をすぐさま犯人に返してしまった、というのです(すぐにパートナーが駆けつけたためことなきを得ましたが)。
もっとも、兵士や警察官の場合なら職務との関係でどのような訓練を行なう必要があるかは比較的明確ですが、一般人の場合、どのようなリスクに備えた訓練をどの程度行なうべきかを決めるのは容易ではないかもしれませんね。