「日本語世代」の回想をいかに聞くべきか

「日本語世代」の台湾人には「反日」はいないんだそうです。探して回れば「いい想い出なんてなかった」と証言する人もいるんじゃないかと思いますが、まあ「いない」というのは修辞的な強調としてちょくちょく使われる表現ですから、過度な一般化としてことさら目くじら立てることもないでしょう。問題は、先日NHKを提訴したような人々が主張するところの「親日」をわたしたちがどう理解すべきか、です。

 元高砂義勇兵たちの話は心を打つ。だが、台北で二〇〇一年六月十二日に会った中央研究院民族研究所の黄智慧研究員は、こうも分析する。
 当時、高砂義勇兵の日本に対する忠誠心にも似た心理状態は、国家主義の教育と価値観のなかで、唯一の心情と教えられたものの結果だ。彼らにとって選択の余地はない。漢民族に比べ、民族の社会システムや価値観が破壊されやすかった弱者の高砂族。若者の意識のなかで、民族の村落単位の認識が、一気に国家へと進んでしまった。誰のために我が身を捧げるべきか、民族と国家を同一視していた。
 血書志願した若者のなかには、日本人巡査に指名されて半ばしかたなく志願させられたというケースもある。地域を支配していた巡査の指名に背くことは死を意味していた時代だけに、純粋に志願した男だけだったとは、簡単には決めつけられないだろう。
 一方で、高砂族の若者にとって、日本軍への志願が、ほぼ唯一の出世手段であった。日本人と同じ扱いを受ける唯一の機会であり、実力を見せなければいけなかった。志願することで地域社会から尊敬され、日本人からもほめられる。戦場で働けば、日本人上官から大和魂や日本精神をほめられる。かつて漢民族から虐げられ、その後、日本人からも差別された高砂族にとって、一視同仁、差別なき社会を求める複雑な心理過程があった。

この一節を含むのは、反日出版社岩波書店岩波新書・・・ではなく、文春新書の『還ってきた台湾人日本兵』(川崎眞澄著)です。しかもベースになったのは産経新聞での連載(2001年)。日本の敗戦から29年間、敗戦を知らぬまま「日本兵」としてひとりインドネシア・モロタイ島で生存していたところを発見されたスニヨンさん(李光輝/中村輝夫)や、彼と同様「義勇兵」として戦場に赴いた「日本語世代」の台湾人(高砂族)に焦点をあてた一冊。この本は、全体としてはNHKを提訴した人々が喜びそうなエピソードをたくさん伝えている(巻末には李登輝の「本書の刊行によせて」と題する短文が掲載されてもいる)。だが、控えめにではあるが、「日本語世代」の台湾人の「親日」意識をわれわれがどう受けとめるべきかに関する示唆を含む台湾人研究者の分析を挿入するだけの良識は示しています。
もちろん、「日本語世代」の内的なリアリティ(といっても、われわれはそれを彼らの発言を通じて知ることしかできないわけだが)を否定する権利などわたしたちにはないが、そのことは彼らの内的なリアリティをわたしたちが客観的な現実として額面とおりに受け取ってよいということを意味しないのです。