関東大震災時における朝鮮人虐殺

  1. 松尾章一、『関東大震災戒厳令』、歴史文化ライブラリー162、吉川弘文館
  2. 関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会編(な、長い…)、『歴史の真実 関東大震災朝鮮人虐殺』、現代史出版会
  3. 姜徳相ほか編、『現代史史料6 関東大震災朝鮮人』、みすず書房
  4. 大江志乃夫、『戒厳令』、岩波新書


まずお断りしておくと、読んだのは最初の1冊だけで、あとは必要に応じて参照しただけです。
関東大震災時の朝鮮人*1虐殺についてはいまもって正確な数字が判明しているとは言い難い。その最大の理由は、当時の日本政府が朝鮮人虐殺事件をその総体において包括的に調査しなかった(個別の事件についての捜査、裁判は行われた)ことであろう。帝国臣民、軍隊、警察が同じ帝国臣民を殺害した事件なのであるから、日本政府が十分な捜査を行なって然るべきだったのである。もとより大震災による混乱のなかでの出来事であるから、当時直ちに徹底的な調査が行われたとして、なお不明な点は残ったに違いない。とはいえ、日本政府の不作為*2咎めるでもなく、犠牲者6千人説にケチだけはつける、というのは到底フェアな態度とは言えまい。まあしかしなんですな。「具体的データに欠ける地名と人数の羅列」だけの羅列なんて信用できるか、と啖呵を切っているご仁は、『現代史史料6』に収録されている警視庁の(一般被災者の)火葬記録、圧死体処分記録なども「数字と場所」の羅列に過ぎない、ってことは華麗にスルーしていましたな。


さて、『関東大震災戒厳令』は『戒厳令』に依拠しつつ、戒厳令第十四条の「恣意的な拡大解釈」など、手続き上の問題をはらむ戒厳令であったことを指摘している。震災直後に警視総監赤池濃が内務大臣水野錬太郎に戒厳令の交付を要請しているのだが、大江・松尾が共に着目しているように*3、水野は1919年8月12日に朝鮮総督府政務総監に、赤池は同年8月20日総督府内務局長、9月20日には新設された警務局長にそれぞれ任ぜられており、三・一独立運動以後の朝鮮半島で治安行政に携わっていた。大江によれば「憲兵政治から警察政治への転換と弾圧にあたってきた」(127頁)ということになる。つまり、「混乱に乗じて破壊活動を行う不逞鮮人」という図式はデマよりもまず当時の治安担当者の脳内にこそあったのであり、これがデマの伝播に大きく影響したことは十分考えられる。デマの発生源がどこであるかはおくとして、デマの伝播に軍が関わっていたことは明らかである。デマ発生源(の一つ)と目されている海軍の船橋送信所、O大尉(個人名を伏す)の報告書を松井が紹介しているが、O大尉自身が報告書中で「当時錯乱セル小官ノ心情」と書いているほどである。部下が「悠容迫ラス泰然トシテ」いる様を賞賛した箇所に、海軍省の上層部が書き込んだと推定される「当然ノコトナリ自分カ一番アワテテイル」という欄外書き込みは、事態の重大さを思うと不謹慎ではあると思うものの、失笑を誘う。しかも『関東大震災朝鮮人虐殺』に史料として転載されている『法律新聞』(大正12年11月20日)によれば、朝鮮人殺害の件で起訴された被告(千葉県の自警団)は、このO大尉が朝鮮人は「殺してもよい」と言ったので殺した、と陳述しているのである。同記事に引用されているO大尉の調書では、「襲撃して来る鮮人は殺してもよい」と言ったことは本人も認めている。本人の証言通り「襲撃して来る」という条件を付けていたのだったとしても、「殺してもよい」という軍人の発言が自警団の行動をエスカレートさせたことは明白であろう。


虐殺の犠牲となった朝鮮人の数(死亡者)については、政府による調査(『現代史史料6』、426頁以降)が233名としていることが知られているが、それには「犯罪行為に因り殺傷せられたるものにして明確に認め得べきもの」に限定されていると報告書自身が述べていることに留意すべきである。犠牲者数を過少に見積もる強い動機をもつ政府が「明確に認め得べきもの」と限定して挙げた233という数字を鵜呑みにするのはお人好しにもほどがあろう。しかも、同書443頁以降で紹介されている陸軍の行動に関する文書では、「処置の適否」について「適当と認む」という但し書きつきながらも、兵士による計14名の朝鮮人殺害が記録されているほか、松尾が発掘した『関東戒厳司令部詳報』の付表「震災警備ノ為兵器ヲ使用セル事件調査表」には、9月1日夜中から6日午前7時半までの20件が記録されており、『関東大震災戒厳令』ではそのうち3例が紹介されている。部隊名と朝鮮人犠牲者数のみ列挙すると

  • 野戦重砲第一連隊・騎兵第十四連隊:約200名
  • 騎兵第十三連隊:1名
  • 騎兵第十五連隊:5名

となっている。記録が9月6日までのものであることを考えても、これ以上の朝鮮人が軍によって殺害されたことはまず確実であろう。

*1:虐殺の対象になったのは朝鮮人だけではなく中国人、朝鮮人と誤認された日本人、左翼活動家なども含まれるが、ここでは犠牲者数で他を圧する朝鮮人虐殺でもって当時の虐殺事件を代表させる。

*2:さらに言えば日本人研究者、一般読者の関心もどちらかといえば甘粕事件などに集中しがちではないだろうか。

*3:ただし、松尾が「『三・一朝鮮独立運動」時の朝鮮総督府政務総監」と書いているのは明らかにミスリーディング。事件当時の総監ではなく、事件を受けて赴任したという点をむしろ重視すべきだろう。