「断罪」の可否、続き

拙エントリ「なぜ「断罪」してはいけないのか?」にgood2ndさんからトラックバックを頂戴することができました。私が「はっきりと違う考えをもっている」と書いたのはやはり勇み足でしたね。また、もともとのきっかけとなったittuanさんのエントリでは「帝国主義」の歴史的評価が問題になっているのに対して、「戦争犯罪」という私個人の問題意識へひきつけすぎたところがあったかもしれません。「戦争犯罪」よりも「帝国主義」についての歴史的評価の方がより微妙なものとならざるを得ない、というのは確かでしょう。ただ、何度か(本館の方で)引き合いに出したことですが、例えばカントは1795年の時点で植民地主義批判を行っており(『永久平和のために』)、19世紀の日本人にとって「植民地主義批判」はアクセス不可能な理念ではなかった、ということはもっと強調されてよいことではないでしょうか。


さて、good2ndさんが

(前略)一方には「個人を感情的に断罪したり非難するだけでこと足れりとしてしまうという危険がありはしないか」という懸念があり(後略)

と書いておられるのはもっともで、まずなによりも歴史的問題を「個人化」してしまうと歴史認識として奥行きのないものになってしまう、ということがあります。また帝国主義植民地主義)批判にせよ戦争犯罪批判にせよ、人々の情念に強く訴えるところのある問題だから、断罪が声高であればあるほど頑なに擁護する人々も現われてくるだろう、ということもあるでしょう。また歴史認識の可謬性を念頭におけばやはりことばに気をつけるべきところはあろう、とか。
と同時に、過去について手間隙かけて調べよう・学ぼうとするとき、植民地主義がもたらしたものとか戦争犯罪への憎悪が動機の根底にあることは別に不当でもないし、感情的コミットメント抜きの知的好奇心だけで取り組めるような問題でもないでしょう。もちろん、その感情に引きずられてしまってはいかんわけですが。
ittuanさんはE.H.カーの「歴史は現在と過去の対話である」ということばを援用されている(カーがおかれていた「文脈」の問題については、左記のエントリのコメント欄でN・Bさんから指摘あり)。「対話」だから罵倒するのは非生産的だとしても、やはり「あなたは間違っていた、なぜならば…」と言うことを排除するものではないでしょう、この認識は。「歴史家は"裁判官"ではない」というのは「歴史家には刑罰や賠償を命じる法的権限がない」という実に瑣末な意味でまず正しいし、ittuanさんがおっしゃろうとすることが分からないでもない。しかし歴史家が南京事件の背景について研究し、「a、b、c…、これらの要因が南京事件を引き起こした」と判断するとき、その作業が裁判官のそれに類似したところを持つのもまた確かではないでしょううか? その「a、b、c…」が人為的にコントロールできる要因であり、それをコントロールする権限と責任を持った個人が存在したのであれば(南京事件について言えば存在しているのだが)、「a、b、c…、これらの要因が南京事件を引き起こした」という主張は「a、b、c…」を招いた(ないし放置した)個人の責任についての主張を含意せざるを得ないのだから。

あと、この際なので本音を書いてしまうけれども、調べれば調べるほどいかにデタラメがまかり通っていたかがわかっちゃうんですよ。末端の兵士によって担われた戦争犯罪の残虐さ以上に、軍上層部(師団長・中堅参謀クラスも含む)や政府のデタラメなふるまいには怒りを禁じえないわけですよ。外国の犠牲者に感情移入なんてできないという人には、せめて自国の兵士や民間人がなぜ・どのようにして死んでいったのかくらい知ってもらいたい。軍事的にまったく意味のない死に方をした兵士がたくさんいるんです。現地視察もしない司令官や参謀が地図の上に線を引いて立てた作戦(インパール作戦もそうだし、大陸打通作戦もそう)でどれだけの将兵が死に、それに対して誰がどう責任を取ったか(取らなかったか)とか、ね。