「誰も主張してないことに反論する」症候群

ちょっと久しぶりに南京事件に関してよそさまでコメントしてきました。bat99さんから示唆を受けて訪問したブログなんですが、行ってみるとコメント欄にはすでに私のエントリと「南京事件FAQ」からコピペしてくれている人が。最近、このようなかたちで「虐殺はあった」派のコンテンツを紹介してくださる方をよく見かけますが、ありがたいことです。もちろん南京事件についても調べるべきことはまだいろいろあるのですが、華北での対ゲリラ戦(三光作戦)についての調べものにもっと時間を割きたいと前々から思っていましたし。
さて、コメントは主としてブログ主氏というより「KHAN」というハンドルの人物のコメントに対するものへと移行していったのですが、繰り返し質問したのにスルーされている論点があります。

いわゆる「自虐史観」攻撃の大きな理由のひとつとして、日本以外は合法、日本のみ違法ということのような、日本だけに厳しいという「自虐的な」ダブルスタンダードをやめろということですので、これを解消するには、論理的には双方違法、双方合法という2つの解があるというだけです。


いわゆる「自虐史観」側にはそのようなダブルスタンダードが多すぎます。

 ここで、いわゆる自虐史観派は「日本軍の行為だから」違法で虐殺であるという差別的な立論になるのがお決まりのコースですが。

というKHAN氏の発言です。私の質問は単純明快で、「誰がそんなこと言ってるんですか?」というものなのですが、「多過ぎ」「お決まりのコース」というからにはたちどころに有名どころを5、6人は挙げられそうなのに、いまだに返事がもらえません。要するに「誰も言ってないことに反論する」というおなじみのパターンということですね。「パターン」と言うからには「誰がやっているのか」をたちどころに挙げられるんだろうな…というツッコミがあれば挙げます。
それから、これはコメント欄では書かなかったけど、耕氏のこの発言も事実に反してますな。

沖縄の話が出ましたが、あれだってそうです。アメリカは、あの時は勝ちがほぼ決まっていたから忠実に国際法を守りました。しかし緒戦ではどの国も国際法を守らなかったのです。国際法があまりに理想的で、生きるか死ぬかの戦争とは相容れなかったからです。

アメリカが大戦初期と末期のどちらでより「忠実に国際法を守」ったかといえば明らかに前者でしょう。空襲一つとってもそうです。イギリスとは違って、アメリカは(ドイツでも、日本でも)当初昼間精密爆撃にこだわりました。いうまでもなく、なるべく軍事目標のみを破壊するためです。自軍の犠牲のわりに効果が上がらないために(焼夷弾を大量に使った)無差別爆撃へと方針を切り替えたのです。
もう一つ、これまたコメント欄では触れませんでしたが、tarkn1999氏の次のコメントはもういやになるほど聞かされているし、ブログ主氏が引用している山本弘の非常に傲慢な発言も結局同根のものだと思う。

そうですね、「なかった」と言う人は「なかった」と言いたい意図なり気持ちなりが先にあり、という感じになっているところはあると思います。
同じように、「あった」と言う人も「あった」と言いたい意図なり気持ちなりが先にある感じになっている場合も多めなように私には思えます。

「あった」と言いたい意図なり気持ちなりが先にあるから「あった」と言ってます…などと自称する人間はまずいないだろうから、一体なにを根拠にそう「思え」るの? と問いたくなる。もちろん、「なかった」と言いたい意図なり気持ちなりが先にあるから「なかった」と言ってます…などと自称する人間もほとんどいないから(じっちゃんのことを悪く言うな、などと意図をダダ漏れにする人間もいるけど)、私が「なかった、と言いたいがための為にする議論」と批判するときにはちゃんとその根拠を示しますよ。


さて、もう一つの「誰も主張してないことに反論」する事例。ちょっと「いまさらながら」だけど「池田信夫blog」のコメント欄より。

Re: 問題をスライドさせる左巻き (池田信夫)   2007-06-17 23:09:00
(…)
逆に吉見氏の説では、慰安婦を民間が募集したケースが説明できない。だから「植民地支配下ではすべて強制だ」という話になるのです。圧倒的多数は任意で行なわれた商行為であり、一部に悪徳業者の詐欺的な募集があったというのが実態です。

はあ? 吉見教授の『従軍慰安婦』(岩波新書)にはちゃんと「植民地支配下」で「慰安婦を民間が募集したケース」について言及があるんですが? 「圧倒的多数は任意で行なわれた商行為であり」についてはもうばからしいんでコメントしません。