その論法は…(追記あり)

捕鯨についてはちゃんと調べたことがないので、「捕って問題ないなら捕りゃいいし、疑念があるなら止めりゃいい」と思いつつなぜ農林水産省があれほど懸命になるのかその裏はなんだ? という程度なんですが、Dr-Setonさんの一連のエントリは当ブログの名称とも深い関係があるのであえて触れてみます。
自滅する捕鯨
続 自滅する捕鯨
新 自滅する捕鯨
自滅する捕鯨 征服
最後の 自滅する捕鯨


国際社会で自国の主張が通らない時に、それをぜんぶ外国のせいにしてさらには「人種差別だ」とか言い出すのは、まさに満州事変後の日本そのものなんで、それはヤバいですよと。自国の主張を通したいのならなおさら、国際社会がなぜ反対しているのかをきっちり理解しないと。


ブクマコメントより

rna捕鯨をしなくてもいい理由(若しくは捕鯨の範囲を限定する理由)が繰り返し強調されますが、いくら捕鯨が必要ない理由を挙げてもそれが捕鯨をしてはいけない理由にはなりません」これに尽きる。自由主義の基本。

もちろん、問題が捕鯨国と反捕鯨国との関係だけなのであれば、rnaさんのおっしゃる通りでしょう。しかし不確実性をはらむ資源量評価(それゆえ同様に不確実性をはらむ捕鯨のリスク評価)が論点となっている以上、「その必要性はリスクにみあうものなのか?」が問われることに十分な理由はあるでしょう。なにしろ、「捕鯨により絶滅するおそれがあるならば捕鯨を行なうべきではない」という原則には日本も同意しているわけですから。