「フィリピン 絶望の市街戦〜マニラ海軍防衛隊」「ガダルカナル・繰り返された白兵突撃」
7月29日(日付的には30日)に放映されたのが「証言記録 兵士たちの戦争」シリーズの「フィリピン 絶望の市街戦〜マニラ海軍防衛隊」、「ガダルカナル・繰り返された白兵突撃」。前者は昨年の夏に放映された「証言記録 マニラ市街戦〜死者12万焦土への1ヶ月〜」(今年も8月11日に BShiで再放送されるようです)と同じフッテージも使用しながら、視点を海軍防衛隊の生存者において構成し直したもの、と言える。したがって当時のマニラ市民の証言は紹介されない。マニラ市民の膨大な被害のわりにはあまりにも知られることの少ない戦いではないだろうか。
他方、ガダルカナルについては多くの本が書かれ、多くが語られてきたわけだが、この二つが続けて放映されたことで興味深いコントラストも生じていた。ガダルカナルからの生還者が銃撃を禁じられた白兵突撃について、「敵からどれだけ猛射撃を受けても、命令に違反して撃ち返すなどということはまったく思わなかった」という趣旨のことを語っていたのに対し*1、マニラにいた元軍医は兵士のみならず将校までがよく仮病(らしきもの)を訴えてきたことを証言している。マニラ市街戦の場合、戦局全般についての認識の違いもさることながら、陸軍ではなく海軍、それも訓練された陸戦隊ではなく乗艦を失った水兵や現地召集した在留邦人が主体であったことによるのだろうか。台湾人の海軍巡査隊を率いていた日本人警部*2が、部下に投降するよう言い残して自決した事例も紹介されている。
他方で、当時の日本の人権意識をうかがわせる共通点も浮かび上がる。マニラ市街戦においてゲリラ掃蕩のため女性や子どもを含めて非戦闘員を殺害したことは「マニラ市街戦〜死者12万焦土への1ヶ月〜」でも今回の「フィリピン 絶望の市街戦」でも紹介されていたが(ただし、南京攻略戦の場合とは違って、組織的なゲリラ活動があったことは事実)、ガダルカナルでも上陸したばかりの一木支隊が、米軍の情報を求めて尋問した現地住民を口封じのため殺害していたことが証言されている(具体的な殺害方法にまで及ぶ証言)。敵の領土内や敵の勢力圏内で敵対的であると推定できる住民が相手のことならば、行為の違法性はともかくとしてその意図についてはまだ理解できる。しかし米軍の方も上陸したばかりの太平洋の島で、まだ本格的な作戦行動を起こす前の出来事である。結果的には全滅に近い損害を受けたとはいえ、その段階では日本軍は完全に米軍を過小評価(過少評価でもあった)していたのだから、数名の兵をつけて作戦が終了するまで監視するにとどめることも主観的には十分可能だったはず。犠牲者の数こそわずかであれ、質的にはもっとも正当化し難い類型の戦時犯罪ではないだろうか。
戦後60余年、という時間を感じたのは、「餓島」について「もし米兵の死体があったら私も食べていたかもしれない」という率直な証言がなされていたところ。人肉食というのは「見た」「聞いた」という証言ならけっこうあるものの、自らのこととして語られるケースはずっと少ないからだ。