エラいひとのピンチに駆けつけるひと

さて、今回の「田母神論文」問題をめぐっては、一つだけ「日本も捨てたもんじゃないな」と喜んだことがあります。それは既存メディア、ネットの双方で、保守的ないし右派と思われる媒体、論者から「言論の自由」を擁護せよという声が聞こえてきたことです。保守派、右派の多くは「言論の自由」なんて“共同住宅の共有部分に部外者を立ち入らせないことで達成される平穏”にも劣る価値しかないと考えているのではないか、と私は思っていたのです。しかし、“世界有数の空軍組織のトップが2ちゃんねらーなみの情報リテラシーしかもちあわせてなかった”という国際安全保障上の危機のさなかでも「言論の自由」の大切さを訴えるというのは、なかなか真似のできないことだと思います。


最近では小泉元首相が自身の靖国参拝を「思想、良心の自由」を盾に正当化した時、右派論壇がこれを擁護したことは記憶に新しいところです。が、思えば日本の保守論壇は、国家の危機に際して基本的人権の大切さを訴えるという素晴らしい伝統をもっているのです。例えば戦後日本を代表する汚職事件であるロッキード事件の第一審審理中から、『諸君!』をはじめとする保守論壇誌は「ロッキード裁判は東京裁判以上の暗黒裁判」((c)渡部センセ)というキャンペーンをはりました*1。裁判ではもっぱら旅客機(エアバス)の導入をめぐる汚職が焦点になったわけですが、それとは別に*2日本の海を赤い潜水艦から護る対潛哨戒機の導入をめぐる疑惑も取り沙汰されていたにもかかわらず、保守論壇は日本の安全保障に関わる問題を後回しにさえして刑事被告人*3の人権を守るために立ち上がったのです! どっかの府知事に爪の垢を煎じて飲ませたい! その時の主役こそ、「田母神論文」に最優秀賞を与えた審査員の長、渡部昇一センセイであります。脇役として偽ユ……じゃなかった山本七平センセイとか小堀桂一郎センセイなんかも登場します。そう、日本刀の性能を貶めるという反日的な振る舞いまでしてあえて「百人斬り」を否定しようとした山本センセに、「田母神論文」を「労作」と絶賛した小堀センセです。


彼らがふだん刑事被告人の権利のために発言しているのを読んだ記憶がない、とおっしゃる? そう、そこのところがミソなのです。ケチな犯罪者の権利のことなんて腐れサヨクに考えさせておけばよいのです(あるいは、そもそもそういった権利なんてものはないのです)。元空幕長を懲戒免職にすべきかどうか、退職金の自主的な返納を求めるべきかどうか、といった問題についても期待通り保守論壇は立ち上がってくれます。首相の自宅を見に行こうとして転び公妨で逮捕? それがどうしたってんだ! 「退職金の自主返納」を要求することが「適正手続き」−−ああ、この言葉はロッキード裁判が「暗黒裁判」である所以を渡部センセたちが勇ましく語る際にも度々聞かれたものです−−を踏みにじることに比べれば、生涯賃金が6千万に届くかどうかもわからないビンボー人(サヨクなんてどうせそんなもんでしょう)の逮捕なんて問題ではありません。ただ1つ問題なのは、それが今日(11日)参議院参考人として出席した元空幕長への後ろ弾になりはしないか、という点です。「自主的返納」を要望するというのは、美しい建前としては退職者の良心に訴える行為です。ところがこの元空幕長はどうやら良心にかけて自分の主張は正しい、自分の行為は間違ってないと思っているようで、とすれば良心に訴えることに意味はありません。あとは、「自主」性を実質的に阻害する事情があるかどうか、です。「自主」性が単に言葉だけでなく実質的にも十分確保されていることが求める側と求められる側の間で相互的に明らかであれば、「自主的に返納してくれ」という要望は元空幕長にいかなる不利益をも強制するわけではありませんから、懲戒処分を課するにあたって必要となる「適正手続き」が問題になる余地はなくなってしまうわけです*4。他方、防衛大臣と元自衛官*5という関係であっても「要望」がある種の圧力にならないはずはない……こういう見方もたしかに大切ですね。ただそうすると、「懸賞のことは紹介しただけで、空幕長として指示したわけではない」という元空幕長の釈明をどう理解すべきか、という問題が出てきます。また、沖縄戦に際して大本営は非戦闘員が「玉砕」してくれることを期待していました。さらに第32軍の参謀長は新聞紙上で「軍民一体」を説いてもいたわけです。防衛大臣が元自衛官になにかを要望することが強制性を帯びるのだとすると、大本営とか第32軍の意向が沖縄の非戦闘員にとって強制性を帯びないと考える理由はなくなってしまいます。元空幕長の釈明を無効化し、このところ右派が力を入れている“沖縄戦「集団自決」に軍関与はない”という主張を粉砕してまで「適正手続き」の大切さを説くとは! まさに言論人の鏡と言うべきでしょう。

*1:そして渡部センセイは、自説を立花隆に木っ端みじんにされることにより、東京裁判は日本の右派が言うほど暗黒裁判ではなかったことを明らかにする、という現代史研究への貢献もされたのです。

*2:とはいっても同じロッキード社の飛行機ですから、もちろん関連した疑惑ではあります。この注、追記。

*3:ただし丸紅側の被告とか田中の秘書の榎本被告のことはほとんど話題にしませんでしたが。

*4:いま話題のバラマ……じゃなかった2兆円の給付金についても高額所得者には「自主」的に「辞退」してもらうという案が有力になりつつあるようですが、別に辞退しなかった高額所得者の家に憲兵がやってきて「この非国民が!」と恫喝するということがない以上、高額所得者に不利益を強制することにはなりませんよね?

*5:現役の自衛官であれば、「言うことを聞かないといろいろと非公式な嫌がらせがある」という懸念があるわけですが、もう辞めちゃった後ですし、仲良しの元谷代表のアパグループは防衛関連企業でもありませんしね。