『陰謀史観』

分析の対象となっているのは「明治維新に始まる近代日本の急速な発展ぶりが生みだした陰謀史観」(11ページ)なので、田中上奏文やバーガミニ(本書では「バーガミーニ」)の著作などにも言及があるが、意図してであれ結果としてであれ日本の戦争を正当化する陰謀論に最も多くのスペースが割かれている。ハーバート・ヴィックスに対する Dis り方と比べると田母神閣下を評する筆致がお優しいように思える……といったことはあるにせよ、後者や類似の論者への評価の中身はといえば従来とおりほぼ全否定だ。江藤淳についてもその『閉された言語空間』などでの主張につき、「江藤自身が享受している言論と表現の自由は否定しようもないので、責任はマスコミの自主規制や各人の無自覚に転嫁せざるを得なくなるのだろうが」(142ページ)とか、「相手が中国や朝鮮半島であれば厄介な紛争を招きかねないが、アメリカなら聞き流すか笑いにまぎらすだけだから、声高に陰謀説を唱えていても安心しておれる」(143ページ)といった具合。
ということはつまり、近代日本の戦争の侵略性を――あるいは少なくとも、海外の視点から見れば侵略に他ならなかったことを――かなりはっきりと認めている、ということだ。本書では大きなテーマにはなっていないが、東京裁判BC級戦犯裁判に対する保守派・右派の定番の批判にほとんど同調しないのも、著者の一貫した立場だ。
となると課題として浮かび上がるのが、侵略戦争についても戦争犯罪の多くについても日本の責任を(保守派なりに)はっきりと認めている論者がこと「慰安婦」問題に関してはなぜああなのか、という問題だ。反対に、日本の戦争の侵略性は否定するが「慰安所」制度については深刻な人権侵害で誤りであった、とする論者が見当たらない、少なくとも目立たないのはなぜなのだろうか。「慰安婦」問題の否認の核にあるのは何であるのかを考えるうえで、念頭においておくべきことの一つだろう。