山本五十六の遺書他、発見

一昨日のニュースですが。
2008年12月02日 西日本新聞朝刊 「「此志奪う可からず」開戦に異議 山本五十六の“遺書”を発見 大分県立先哲史料館

 旧日本海軍山本五十六連合艦隊司令長官(1884‐1943)が自ら記し、その遺書ともみなされている「述志(じゅっし)」が、海軍兵学校時代からの親友で大分県杵築市出身の堀悌吉中将(1883‐1959)の遺品の中から見つかった。日独伊三国軍事同盟や対米英戦争に反対していたとされる山本の立場を裏付ける貴重な資料という。
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 このほか、堀が戦後、戦争に反対した山本のことを後世に紹介するために書いた「五峯録」の原本や、山本が提案した真珠湾攻撃の原案となる「戦備訓練作戦方針等ノ件覚(おぼえ)」の直筆なども発見された。同史料館によると、これらの資料は、堀が「開戦の責任を山本に押しつけられる可能性もある」として公開せず、幻となっていた。

 五峯録の原資料となった述志や書簡などが多数見つかったことに、昭和史研究者で作家の半藤一利氏は「原資料がないためにその記述を疑う研究者もあったが、出典となったほぼすべての史料がまとまって確認され、そのような見解を一蹴(いっしゅう)することになるだろう」と指摘。「大正や昭和戦前期の海軍研究が飛躍的に進んでいくと期待される」とコメントしている。
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この種のニュースに接する度に書いていることですが、まだまだ世に出ていない資料はあるのでしょうねぇ。なんらかのかたちで出版されるのかどうか記事では明らかにされていませんが、さしあたり「同史料館は6日から14日まで、述志や五峯録、山本が堀に充てた書簡などを展示する」とのことです。