「日中戦争なら核報復を」発言公開の背景と田母神問題

12月22日の朝日新聞は一面で、1965年に訪米した当時の佐藤栄作首相がマクナマラ国防長官(当時)に対して「(日中で)戦争になれば、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」と発言したことを示す外交文書を外務省が公開したことを伝えていた(第1ページ第2ページ)。新聞を読んだ時の第一印象は、「外務省は反核世論なんてもはや大して気にする必要はない、と踏んだのか?」というものだった。都合の悪いものはあくまで隠す(参考)ところが公開したんだから。この報道によって、改めて日本が米軍の「核の傘」の下にいることの是非が国民的な議論の対象になる、と予測したならば公開しなかっただろう。そして外務省のこうした判断は、客観的には間違っていないのだろう。本来なら、もはや日本が全面核戦争に巻き込まれる脅威など存在しないと言ってよい時代にこそ、米軍の「核の傘」の下にいることの是非がきちんと問われてよいはずなのだが。


これもまた「軍事」に関する政治的イシューにおいて、いわゆる左派がじわじわと後退を続けている現象の一環であるわけだが、田母神「論文」を称揚している人びとはこの一件が“自衛隊の役割を今以上に大きくしたくない”“自衛隊を正式に国軍にしたくない”陣営、あるいはそもそも自衛隊を廃止すべきだと考える陣営にとってどれほどの「恵みの雨」になったかを理解していないようだ。ホドロフスキさんに掲示板でご教示いただいたのだが、『WiLL』は2号連続でタモさんを持ちあげる「総力特集」を組んでいる。これに対して、田母神批判のための「総力特集」を組む左派論壇誌は存在しない、というのが実情であるわけだ。いわゆる左派にしてみれば5点リードされた9回裏、ファンも帰り支度を始めようかというころになって相手チームの投手がボークを連発した挙げ句審判に暴言をはいて退場、といったところか。もちろん、まだ満塁ホームランが出ても追いつかない状況ではあるんだけど。
主としてすでに定年退職した世代を対象としているらしい「NPO法人新現役ネット」というところが「コミュニティルーム」を運営していて、そのなかの「フリートーク2(文化歴史教育)ルーム」で当ブログにも時おりコメントを下さる vagabondさんが田母神「論文」を巡って投稿をしておられる。

田母神はカス‘論文’で護憲派に「塩」を送った


戦後の日本は旧日本軍の‘否定から始まった。
自衛隊は旧日本軍とは異なる、との前提で発足し存在している。
しかし「第九条」の存在によって、自衛隊は軍隊でありながら軍隊として正式に認定されていない・・その矛盾というか(認められないことへの)苛立ちが今回のカス‘論文’になって表れたのだろう。


護憲派は「現在においても日本が軍隊を持てば旧日本軍と同じようになる」という前提に立っている。だから「軍隊を持たないことが戦争をしない道だ」と主張する。
この主張はいわゆるサヨクでなくてもかなりの「普通の」人に受け入れられている。
例えばジェリーこと沢田研二も第九条を称えるような歌を歌っている。


改憲が多くの国民に受け入れられるためには「自衛隊は旧日本軍とは違うのだ」という主張が広く認められなければならない。
もちろん時代も違うのだから、旧日本軍と同じになるわけはないのだが、それでも「心配だ」という声は少なくない(護憲の口実になる)。


田母神さんはカス‘論文’でまさにその「タブー」に‘挑戦’しようとした。
それはまさに敵(護憲論者)に塩を送ることになる。
護憲論者はこういうだろう「自衛隊のトップが昔の軍隊を擁護した。今の自衛隊も、昔の軍隊も変わるところがないといっている。だから軍として認めてはいけないのだ」。
仮に政府が田母神を否定しても、少なからぬ「信奉者」が軍(自衛隊)内にいることが分かり、「自衛隊を信用できない」というだろう。


田母神カス‘論文’は改憲の手助けどころか、逆に改憲を阻害する要因になる。

私自身は厳密に言えば「現在においても日本が軍隊を持てば旧日本軍と同じようになる」と考えているわけではない。私に限らず「もちろん時代も違うのだから、旧日本軍と同じになるわけはない」という認識を持っている左派、「旧日本軍と同じ」じゃないからなおさらマズいと考える左派もいる。旧軍は自軍将兵の命も軽視したが、新日本軍は自軍将兵の命は大切にするだろう(もちろん可能な範囲で、だが)。その場合、「戦争中なんだから捕虜を殺すのはしかたない」といった類いの南京事件否定論がどういう役割を果たすか。自衛隊が国軍になっても徴兵制が敷かれることは(よほど大きな社会の変動がない限り)ない。だからこそ米軍同様、貧困層出身の若者だけが最前線で危険に晒されることになるのではないか。等々。
とはいえ、田母神「論文」が自衛隊の国軍化、9条の廃棄(改訂)を目指す者にとっての後ろ弾になったというのは(その程度をどう見積もるかは別として)明らかだろう。『文藝春秋』や『諸君!』『正論』などの常連投稿者である秦郁彦に一刀両断にされたような主張を弁護してなんの利益があると考えているのか、まったく理解に苦しむ。問題の掲示板では、参議院での田母神閣下を見習ったのか「朝まで生テレビ」のアンケートをひきあいに出して「田母神元空幕長は支持されている」と主張するひとも登場しているが、深夜に視聴者の側から自発的に解答するアンケートなんてのは、「どのような党派がそのイシューに強い関心をもっているのか」を知る手がかりにしかならない。田母神支持派が「我こそはマジョリティなり」と勘違いして行動し続けてくれればむしろ幸いというものだ。もちろん、与党国会議員の間でも少数とはいえ組織的な支持を得ている勢力を過少評価することは出来ないが。



以下余談。
若い人(なんてフレーズを使う歳になっちゃいましたね)には実感はないだろうし、当時大人だった人びとにはまた別の受けとめ方があったのだろうが、さらに当たり前ながら同世代でも個人差はあるのだろうが、70年代に子ども時代を送った人間にとっては「核戦争の脅威」は独特のリアリティをもっていた・・・というのは単なる思い込みだろうか。物心ついたらソ連の書記長はゴルバチョフだった(あるいはもはやソ連はなかった)という若い世代は言うまでもなかろう。もっと年長の世代は大人になってからもバリバリの冷戦時代を経験しているわけで、大人の目でみた核軍拡時代を想起できるのだろうが、大人になったら冷戦が終結しちゃった、という世代に属する私は子ども時代に形成した「核戦争の脅威」のイメージをどう扱っていいのか、いまだにとまどっているところがある。