これじゃあ「正論原理主義」と言われるのもしかたないような気がしてきた

http://d.hatena.ne.jp/negative_dialektik/20090309/1236910539
http://d.hatena.ne.jp/ika18/20090321
あたりから派生した件について。私は村上春樹エルサレム賞受賞(およびスピーチ)問題については言及しないという選択をしたので、ここへとたどり着くに至るまでの限られた文脈で。
私自身は「正論」への侮蔑が蔓延していることをこの社会の問題点の一つだと考えていたので、「正論原理主義」なる語を(否定的な意味あいで)村上春樹が用いたと知った時には感じ悪いな〜と思ったものです。だから id:negative_dialektik氏があっという間にホロコースト否定論への実質的な加担へと傾斜していくのを目にした際には、まるで脈絡が理解できませんでした。また氏の「正論原理主義」批判・批判を評価していた id:tari-G氏がこの傾斜に宥和的な態度をとっているのも実に解せないことです。村上春樹の受賞(および受賞スピーチ)をめぐる議論は、それを肯定的に評価するにせよ批判するにせよ、また評価を下すこと自体の困難さを説くものにせよ、ガザで行使されたばかりの非対称的な暴力、およびパレスチナにおいて長年続いている構造的な暴力への問題意識から発していたはずです。にもかかわらず歴史上もっとも大規模な国家犯罪の一つの犠牲者たちを(そしてその犯罪の証言者、研究者たちを)貶めるような主張に「無知」を盾にとって加担するとは。イスラエルにとって、イスラエルを批判する者がホロコースト否定論へと接近していくことはむしろ望むところであるにもかかわらず。
ここで、もし negative_dialektik氏がナチス・ドイツによる大量虐殺についての専門家の書籍(ホロコースト否定論批判のものを含む)と否定論者の文献をそれぞれ数冊読んだうえで「ホロコーストはなかっただろう/かもしれない」「あったとは断言できない」という結論に至っちゃったのであればまだましなのですが、問題は彼が(自身で認めている通り)「否定論にも一理あるかもしれない」と考えるに足る具体的な根拠はなに一つもっていない、ということです。犯罪容疑者を捕らえ、裁くという文脈であれば、彼が有罪であると考えるに足る十分な証拠が集まるまでは「無実かもしれない」という想定を常に頭に入れておかねばなりません。しかしその場合でさえ、被害の申し立てについては具体的な根拠がない限り「嘘かもしれない」などと考える必要はないし、また考えるべきでもないのです。


しかしふとしたことから、「ひょっとしてこういうこと?」という着想を得ました。

tari-G 刑事司法, なにこれ 偶然読んだが、日本の刑事司法制度への大甘評価に非常に驚いた。これでは… 2009/03/21
(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090320/p1)

いや〜これまでさんざん「反日サヨク」と言われてきた私が、まさか「日本の刑事司法制度への大甘評価」などと言われるとはw 誰に頼まれたわけでもなく、また一文にもならないのに冤罪事件における虚偽自白についてそのためのカテゴリまでつくって書いてる私が「大甘評価」って言われるくらいだから、tari-G氏は諸外国の司法制度との実証的な比較に基づいてさぞかし精緻な日本の刑事司法制度批判を展開しておられるに違いない、と期待してダイアリを探してみたんですが……。
http://d.hatena.ne.jp/tari-G/
がっかりだよ。
ひょっとして、いやもちろん現時点では「ひょっとして」なんだけど*1、“批判というのは常に、どんな問題に対してであっても、一切の妥協や留保や躊躇いや戦略や屈折などなどを排したガチなものでなければならない”とかいった発想でもあるのかな、と。そう考えればあたかも「村上春樹は受賞をボイコットすべき」という主張以外はエルサレム賞をめぐる批判的な議論たり得ないかのような主張とも見事に符合する。

tari-G 村上春樹現象, 歴史修正主義, はてなタワー 誤読なら謝りますが私の理解ではid:hokushuさんは春樹やmojimoji等への一定の理解は示しても春樹や春樹現象につき特に非難等は無かったような?それにごまんというならnegativeさんで、今回の春樹は絶対入らないな 2009/03/19
(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090318/p1)

これについては hokusyuさんのところでコメントもしたんだけど、誤読ちゅーより hokusyuさんのこのエントリを読んでないんじゃないかと。村上春樹という一人の人間に対してではないにせよ、村上春樹という小説家がおかれている状況に対してはある意味でもっとも厳しい批判でしょう、これ。しかし「賞をボイコットするというかたちでしかイスラエル批判は行い得ない」的な発想があるなら、これを読んだうえでなお「春樹や春樹現象につき特に非難等は無かったような?」という発言はあり得るだろうな、と。そしてこうした思考様式についてであれば、「正論原理主義」という表現の当否は別として、その硬直性を批判する人間が現われるのも当然だろうな、と。
ブクマコメントでもちょっと書いたことだけど、「正論原理主義」という発言を批判した negative_dialektik氏の現在の振る舞いは、「ホロコースト正史派」という用語の選択からして“正論原理主義は恐いですね〜”という振る舞いの(劣化)コピーでしかなくなってます。ドーキンスとグールドが創造説への批判においては一致していながら互いに相手の学説を厳しく批判しあったように、「ホロコースト(を含むドイツによる大量虐殺)はまぎれもない史実」という前提に立つ研究者の間でも激しい論争はあるし、アウシュヴィッツ(ビルケナウ)収容所での犠牲者数推定が大幅に下方修正されたことは、多少なりともホロコーストに関心をもつ人間の間では有名なことです。南京大虐殺についても、本格的な研究が始まった80年代半ば以降日本側の研究者で「34万」とか「30万」とか「40万」といった犠牲者数推定を自らの説として主張しているひとはいません。中国においてすら(特に若手の研究者の間では)戦後の戦犯裁判で認定された数字にこだわらない研究動向がうまれつつあるというのに、彼はこれらすべてについての「無知」に居直ってありもしない「正史派」をでっちあげているわけです。これ自体がもう歴史修正主義の第一歩なんですけど。そして、悪しき意味での「正論原理主義批判」のコピーであると同時に、彼の振る舞いは悪しき意味での「正論原理主義」でもあるのです。というのも、彼はホロコーストの史実性を疑う具体的な根拠をなに一つ手にしておらず(まあないものは入手しようもないのですが…)、単に「ある種の「史観」を盲目的に信仰することの危険を、常に意識すべき」とか「あらゆる歴史研究、あらゆる「正史」批判は、開かれたものであるべき」といった、あまりにも正しすぎているが故に無意味な「正論」にのみ依拠して「ホロコーストを否定する権利」を擁護しようとしているのですから。

*1:なんせ私のエントリのどこがお気に召さなかったのか、わからないしね。ニコ動あたりにアップされてる『銀魂』の「チョメ公なんざクソくらえ」の動画にでもリンク貼っておけば誉められたのかな?