それはもう私(ら)とは関係のないはなしになってます(意図派vs機能派)
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080817/1218965606
「トリアージとナチズムが比較できるものなのか」という点で。
私はトリアージというのはウィキペディアの記載されている以上はわからない。その程度の知識。
ここでいうナチズムはホロコーストのことで、ホロコーストはジェノサイドのことだと理解して。
以上が私の前提。
ま、自分で前提を設定して議論をされるのは自由なんだけど、またややこしい展開になっても面倒なので「それは私の前提ではない」ということだけははっきりさせておく。もちろん「ホロコーストはジェノサイドではない」という意味ではなく、ジェノサイドならどの事例でもかまわないという文脈でホロコーストに言及したのではない、という意味で。したがって
とすると、通り魔殺人や死刑も同じ共通点になるのでしょうね。その理路では。
という「理路」は hokusyuさんとか私には関係がないんで、そこのところ皆さんには誤解されぬよう、お願いいたします。
背景になっているのは次のような事情。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080820/1219196784
1点目だけど。理解モデルがAとBとあるとすると。
A「『除外』が段階的に行われ、エスカレートして、ホロコーストになった。つまり、社会的除外を必要とするなんらかの要因があり、それが合理化されたから、結果的にホロコーストになった」
B「最初にジェノサイド思想ありき、そしてそれが合理的に実施された。段階は合理性の表出に過ぎない。」
で、私はBだと考えている。
(中略)
ここから読めるのは、「殺害の手段を次第にエスカレートさせていった」とはいえ、その根幹に殺害の思想があったということで、Bではないか。
ご本人に自覚があるかどうか知らないが、これは(誰も問いたださないのを幸い)説明をネグった「機能派」と「意図派」の対立にだいたい重なっていて、私は素人だから「機能派の立場に立つ」なんて偉そうなことは言えないけど機能派にもっぱら依拠してホロコーストを理解している。hokusyuさんには問いあわせたことはないけれど、書いておられるものから判断すればやはり機能派でしょう(少なくとも、ベースになっているのは*1)。で…
で、Aは微妙に歴史修正主義に近いのではないか。
大まかに言えば意図派のホロコースト理解が先に成立してそれに対して機能派が異を唱えた、という意味でならその通り。
彼ら〔機能派の研究者〕は意図派について、あまりに狭い単純なイデオロギー固着史観であり、絶滅政策に辿り着くユダヤ人政策の曲折、複雑なプロセスを真に理解する方法にはなり得ないと主張する。
もともと、機能派・構造派は、時代を経ることによって、単純なヒトラー中心史観の脱却から生まれたとも言えよう。(…)
(柴健介、『ホロコースト』、中公新書、246ページ)
しかし「歴史修正主義」をホロコースト否定論の意味に解するなら、事態はむしろ逆。これは機能派の「嚆矢』(前掲書)たるブローシャートの研究がデヴィッド・アーヴィング*2への反証としてなされたという事情や、「歴史家論争」においてノルテの側に立ったのが意図派であったこと*3からも明らか。もちろん意図派=否定論ということではなく(大量殺戮の実在を前提してこその意図派なので、当たり前だが)、ホロコーストの相対化や「普通のドイツ人」の免罪に結びつきやすい理解である、という意味で。機能派が「歴史修正主義の亜流」だというのは珍説のたぐいでしょ。
意図派と機能派の対立は「どちらかが100%正しくて他方が100%間違ってる」というたぐいのものではなく、芝氏の前掲書にも東西ドイツ統一後に公開された資料をもとに「ヒトラーが決定した」という側面を重視する研究者が現れたことなどが指摘されてはいる。別に機能派の立場では「殺害の思想」は関係ないというはなしではないので。念のため。
ところで、機能派による意図派への批判のうち「あまりに狭い単純なイデオロギー固着史観」というのがマンガチックなまでに当てはまるのが例の渡部昇一センセイによる「平等主義=ポル・ポト」論ですな。「平等主義」ったって「相続制度の廃止」という極端なものから「相続税の課税強化」、「現状程度の相続課税を維持」までさまざまだし、それこそ「相続税廃止」の主張に比べれば「相続税減税(ただし廃止はしない)」の主張だってある程度平等主義的、ということになってしまう。戦後だけに限っても日本は60年近く相続税を課してきたけれどもクメール・ルージュに比肩すべき大粛正が起こったという事実はないし、相続税が存在する社会でたびたびそうした大粛正が起こっているという事実もない。これはもちろん「平等主義」の程度の違いを無視していることにもよるけれども、大粛正・大量殺害が起こったプロセスのダイナミズムを無視してひたすら「平等主義」という思想ファクターのみを焦点化した結果でもある。
なぜ山本七平? 困る困らない以前に彼はもう死んでますよ。
またまた〜、おとぼけになって。「ジェノサイドの思想」を焦点化する発想と「民族」についての本質主義とをセットにすれば「だから日本人はジェノサイドをやらない(それゆえ関東大震災時の朝鮮人虐殺はジェノサイドではない)」という結論を引き出すことができる。これこそ『日本人とユダヤ人』が目論んだことの一つでしょうが。本質主義批判と機能派的なホロコースト理解を組み合わせれば「ジェノサイドに手を染める危険性を免れている”民族”などない」という結論になるわけで。
追記:NakanishiBさんがコメント欄で2度ほどURLを提示された永岑三千輝氏の『ホロコーストの力学』序章(原稿)でも意図派と機能派をはじめ、ホロコースト研究におけるさまざまなアプローチについて触れられている。ただし、永岑氏による栗原優氏批判として書かれているため、ちょっと文脈がつかみにくいかも。
追記2:うわ、歴史を修正されてしまった。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080820/1219196784
の「追記」部分。
参考
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060304/1141473634
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060318/1142654353
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060319/1142735496
なお山本七平については
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20060323/p1
を参照されたい。