ちょっと待った

妙に被害者意識が強いひとで面倒くさいからあんまり直接言及しないようにしてたんだけど、あんまりと言えばあんまりなので。


finalventの日記 「ダルフール―訴追の圧力で悲劇止めよ : asahi.com(朝日新聞社):社説

 ダルフール危機をブログで取り上げることで暗に陰湿な攻撃も受けた。自分には自分の正義心のようなものがあったし、同じ時代にジェノサイドされていく人への責務が通じないことへの絶望感も感じた。国家の戦争犯罪に関心があるという人たちがまず関心を持つべきはダルフール危機ではなかったか。

例によって「暗に陰湿」な書き方なのでいったい誰のことを指しているのか(「ネガコメ5」?)要領を得ないわけだが、まあ私のことも含むと想定して、もし違うと言うなら「すんません」とあらかじめ謝っておいたうえで言えば、ダルフールでの虐殺に注意喚起することで「国家の戦争犯罪に関心があるという人たち」にも一目置かれていたのに、それを台無しにしたのはあんた自身だろうが、と。山本七平の例の文言、コメント欄での表現を借りれば、「「ナチズムをどう克服するか」という問題」をぐちゃぐちゃに踏みにじり、日本人を「弱者・被害者に同化する正義の欺瞞」の典型であり、「ナショナリズムを隠した糾弾的正義」のもっとも悪質な形態である、あの一節を引用して、しかもなんのために引用したのかといえば関東大震災時における朝鮮人虐殺は「ジェノサイド」ではなかったと弁明するためであったという、あの一件をもう一度最初から蒸し直したいんですか? そっちがその気ならこっちも応じますが? およそジェノサイドに問題意識を持つと称する人間が、山本七平のあの議論を無批判に援用できるというのは、まったくもって想像を絶するはなしでしかないんですが。なにしろユダヤ人を騙る日本人が、ホロコーストをひきあいに出しつつ、日本人による朝鮮人虐殺を合理化しようという目論見でしたからなぁ。


ああ、そうそう。「国家の戦争犯罪に関心があるという人たち」という文言はチベット情勢に関しても借用されそうなので言っておくと、現在の日本で「国家の戦争犯罪に関心があるという人たち」というのは、実質的には「日本政府が関心をもたない、あるいは積極的にネグりそうな国家の戦争犯罪に関心があるという人たち」、を意味するわけですよ。で、そういう人間は、日本という国家が過去に犯した国家犯罪を日本政府にまともに認めさせることすらなかなかかなわない、というのが実情であるわけです。それなのに、中国の、あるいは中国の後押しを受けた「国家犯罪」に関して、「日本政府が関心をもたない、あるいは積極的にネグりそうな国家の戦争犯罪に関心があるという人たち」に一体なにを期待するってんですか? 「国家の戦争犯罪に関心があるという人たち」よりも「国家の戦争犯罪に関心がないという人たち」の方が現在の自公政権にずっと近いんじゃないんですか?