明日、「慰霊の日」

明日6月23日は沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終了した日付にちなんだ「慰霊の日」だが、今日22日の朝日新聞朝刊「ひと」欄では牛島満第32軍司令官の孫にあたる牛島貞満氏(学校教員)がとりあげられている。氏は『世界』の臨時増刊『沖縄戦と「集団自決」』(2008年、第774号)でも“牛島満の孫”として平和教育に携わる心境について語っていたが、このコラムでも長らく「沖縄」を避けてきたこと、1994年に初めて沖縄を訪れ、旧平和記念資料館入り口に展示されていた「祖父の「最後の命令」」の説明文の前で「足がすくんだ」ことなどが紹介されている。
「祖父母の時代の戦争に実感は持てない」といわれることがある。「祖父母の時代の戦争」が「曾祖父母の時代の戦争」という認識に変わってゆくのもそう遠いことではない。しかし軍司令官だった牛島氏の祖父と牛島氏との距離が、一兵卒だった私の祖父と私との距離より大きいわけではない。牛島氏は私などよりは幾分年長の世代だがやはり戦後生まれで、祖父である牛島中将を氏は直接には知らないことになるから、私が成人するまで生きてわずかではあっても戦時中のはなしを聞く機会のあった私の祖父と私の関係の方が、心理的にはよほど密接だと言ってよいはずだ。にもかかわらず私に「足がすくんだ」といった経験がないのは、私の祖父が実戦に参加したこともない一兵卒だったからであって、「祖父母の時代の戦争」だったからではない、ということになる。
牛島氏が「牛島満の孫」として生まれてきたことはもちろん氏の選択したことではなく、その意味において牛島氏には他の(戦後生まれの)日本人以上の「責任」があるわけではない。とすれば、彼が引き受けることを選択したそのなにかは、私たちにとっても無関係のものではないはずだ。
(22日午後11時30分:誤記を修正しました)