二重基準
「さるおかた」さんのスレッド128での最初の投稿に、次のような一節があります。
なぜあなたは「無かった」という証言があるにもかかわらず
自分で確かめもしていない「有った」という証言を信じるのですか?
これも奇怪至極なはなしで、「さるおかた」さんだって「南京大虐殺がなかった」ということを「自分の目や耳で確かめていない」わけです。にもかかわらず「無かった」という証言を信じて「有った」という証言は信じない、というわけです。
そもそも一般論として、被害者(と自称している)側と加害者(と目されている)側のどちらにより強く嘘をつく動機があるかといえば、もちろん後者に決まっています*1。特に性犯罪の場合、性犯罪の被害者となることがスティグマとなる社会では、「性犯罪の被害を受けた」と嘘をつくメリットは極めて乏しいわけです。刑事犯罪の場合なら、「冤罪」の可能性を常に念頭におきそれを防ぐための手続きがきちんと守られているかを監視する必要性は当然として、被害者の主張はひとまず素直(無批判に、ということではない)に聞き、容疑者の否認はひとまず眉に唾つけて聞く、というのが普通の対応というものでしょう(被疑者および被告の弁護人、裁判官を除く)。
この種の人々は、同じ戦争犯罪でも、日本人が被害者の場合には(そして特に旧ソ連や中国が加害者の場合には)全くちがう態度をとります。久々に池田信夫氏のブログを覗いてみたのですが、このエントリのコメント欄には“親族から聞かされた”というだけの理由で赤軍による戦争犯罪があったと信じちゃっている人が登場します。そりゃまあ,親や祖父母から「○○軍にひどい目にあった」「○○軍の兵士が女性を暴行するのを見た」と聞かされれば、ふつう信用しますよ。国際社会だって「おまえの親(祖父母)は嘘をついている」なんて決めつけはしませんよ。しかしそれを言ったら中国や朝鮮半島の人々だって同じでしょう。「元慰安婦の証言を鵜呑みにするな」と主張している人々が、赤軍の戦争犯罪に関する証言は簡単に信用しちゃうわけです。