「修羅の道」

昨日のエントリでもちょっと言及させていただいたmaroon_lanceさんのエントリについて。

以前、南京攻防戦に参加した兵隊さんの証言をあつめた本を図書館でちらっと読んだことがある。残虐行為の証言をとれた日、今日はいい証言が取れて嬉しいとかワクワクしたみたいなことを筆者が書いていて*1、ウェッと思ったことがある。修羅の道だねえ。

これは難しい問題です。なんによらず自分がコミットしている活動で「成果」が出た時に「嬉しい」という感慨がでてしまうのは抑えがたい人間の性のようなものでしょうが、同時にそれは南京事件の犠牲者と聞き取りの相手である元兵士とを手段視することである、と。maroon_lanceさんが私と同じ人物を念頭においているのであれば、「同業者」——たぶんご当人は「同業者」と言われることを断固拒否するでしょうが——の「批判」というのも元兵士の経験を「残虐行為の証言」としてのみ扱うことへの批判だったと私は理解しています。
ただ、南京事件否定論の存在が、元将兵の体験をその総体において聞こうとするのではなく「残虐行為の証言」として扱うという誘惑を強化している、というのも一面の真理ではあるでしょう。正確な犠牲者数はともかくとして大規模な虐殺があったことは誰も否定したりせず、残虐行為の証言への圧力もない情況であれば、一人の人間の経験を「残虐行為の証言」に切り詰めることなく受けとめることももっと容易だったでしょう。「修羅の道だねぇ」という一文(およびこのエントリ)から判断する限り、maroon_lanceさんはそうした事情もちゃんと斟酌されていると思いますが。


ちょっと趣旨がわからないブクマコメントだったので言及しなかったのですが…
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080104/p5

2008年01月04日 YOSIZO わかりやすい, 眼からウロコ, いい話, 参考になる 簡潔にまとまっていて南京事件に対する理解が深まった。Apemanさんありがとう。(・・・で、南京事件って何?それ知ってると何か楽しいの?)

そりゃもちろん全然「楽しい」ことなんてないですよ。実際に経験のあるひとならお分かりだと思いますが、刑事犯罪であれ戦争犯罪であれ深刻な人権侵害の具体的な事例について、被害者の証言であれ加害者の告白であれ目撃者の証言であれ、そのディテールにまでわたって読む(聞く)というのはほんとにこたえる体験です。文字通り「目を背けたい」話題ですよ。「今日はいい証言が取れて嬉しいとかワクワクしたみたいなこと」というのはそれに対する防衛機制のあらわれという側面もあるかもしれない。「戦時下のちょっといいはなし」みたいなのを読んでる方がどれだけ楽か。にもかかわらずなぜ読む(聞く)のか? というと否定論者がいるから。という人間はネットで旧日本軍の戦争犯罪を扱っているひとのなかにけっこう多いんじゃないでしょうか。反論に窮すると私が「熱くなってる」「冷静さを失っている」と印象操作しようとする人びとについて昨日言及しましたが、「怒り」という点では最初から怒ってるわけですよ。怒りこそ動機ですよ。個々の否定論や相対化論で頭にきて後先見失ったりしないほどに普段から怒ってるわけですよ。で、この怒りはもちろん「バカな否定論者を論破してスッキリ」みたいな心境になる陥穽を用意するわけです。それに対する批判はもちろんあってよい。しかし否定論者の跳梁跋扈に加担していることへの自責なしに*1そう批判されても「そりゃないだろ」とは言いたくなります。

*1:上述したように、maroon_lanceさんにはそうした「自責」があります。