東京裁判弁護団の反論にみる本質主義

秋から読み始めたもののいろいろな事情でまだ読み終わらない『東京裁判 第二次世界大戦後の法と正義の追求』(戸谷由麻、みすず書房)より。旧日本軍の残虐行為に関する各国の検察団の立証努力を紹介し、さまざまな類型の残虐行為が各戦線で行なわれていたことを検察が立証しようとしたことを指摘したうえで、弁護団の弁護方針について次のように述べている。

 検察側の膨大な証拠に直面した弁護側はどのような反駁をこころみただろうか。回答はというと、弁護側は検察側の証拠書類にも証人にも基本的には挑戦せず、南京事件のときと同様、日本軍が広範かつ頻繁に残虐行為をおこなったことを事実として認めたのだった。ただ、弁護側は、「日本国家指導者が個人責任を負う」という検察側の主張に対して争った。日本軍による残虐行為が広範だったとは認める一方、同じ類型の戦争犯罪などは検察側の証拠書類から浮かびあがらないと主張、そして中央政府や軍参謀部から残虐行為に関する政策や命令があったと結論づけられないとした。日本占領下で起こった残虐行為は占領軍の兵士たち個々人がおかした犯罪であって、もし残虐行為が相互に類似していたとしてもそれは偶然にすぎない、これが弁護側の基本見解であった。
(264ページ)

南京事件のときと同様」とは、南京大虐殺の立証段階で出廷した中国人証言者(生存者)に対して弁護側が反対尋問を放棄するなど、事実に関する反論を放棄するか、したとしてもあまり効果的ではなかったことを指している。また「同じ類型の戦争犯罪などは検察側の証拠書類から浮かびあがらない」という一節はこれだけでは意味が分かりにくいが、検察側が「同じ類型の戦争犯罪がくりかえし遂行されてきたこと」をもって「政府・軍指導者レベル」がそれらの犯罪を認知していたことの証拠であると主張していた」(237ページ)点をふまえているわけである。
さて、同様の弁護戦略に基づく最終弁論には、注目すべき一節が見られる。同書265ページから孫引き。

検察側の主張する残虐行為その他の違反行為が、かりに同一の行為類型をとっているとしても、それは当然にかかる推定[被告による命令があったという推定]を理由づけるものではない。かかる型は国民性もしくは民族性の反映であるにすぎぬのかもしれない。犯罪は芸術上の作品とひとしく、種族の慣習を反映する一定の特徴を示すのである。又、地理的、経済的及軍事的条件が相互に類似していることも、ある程度かかる検察側の主張する残虐行為その他の「類型性」を説明することもあろう。

原文の傍点をボールドに置き換えた。被告人にはあらゆる手段を講じて自己を弁護する権利があるのだから、弁護の手段としてこのような論法を持ち出したこと自体を批判しても始まらないだろう。また、著者もこの後で指摘しているように、この論法は同じ日本人として日本人の「国民性もしくは民族性」を知り得たはずの被告たちの監督責任を浮き彫りにしかねないものであって、そのツケは他ならぬ被告たちが払わされているからだ*1
問題はこれが弁護のための方便なのか、それとも当時の指導者層の多くが程度はともあれもっていた認識の現れなのか、である。もし後者であるなら、このような弁論の歴史的責任は問われねばならないだろう。


余談だけどこの本、誤変換由来と思われる誤植や誤記がちと目立つような気が。192ページでは南京事件に関して責任を問われた被告が「松井、南、広田」とされてしまっている。

*1:とはいえ、例えば武藤章が日本軍の「教育」に問題があるかもしれないと思った、と捜査段階で供述していることと比べれば、「責任逃れ」の論法であることに間違いはない。