NHK BShi 証言記録 兵士たちの戦争「沖縄戦 住民を巻き込んだ悲劇の戦場」

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総員約3,000名のうち9割以上が戦死したという歩兵第32連隊(第24師団)の生存者からの取材。以下、特に印象に残った証言を箇条書きで。ただし、登場した生存者のうちもっとも階級が高いのが元曹長で将校は一人もいないため、個々の証言は現場の、生の体験を語っていてもどれくらい一般化できるかについては注意を要する。また、住民が被った被害にも言及されているが、基本的には元将兵からの聞き取りという趣旨の番組であるので、非戦闘員の証言者は登場しない。

  • 沖縄派遣に先立ち、「全員死ぬんだから」と認識票を回収された
  • 「斬り込み攻撃」を命令する隊長が(死ねという命令を出すつらさのため)グデングデンに酔っていた
  • 兵士たちは「天皇陛下万歳」とも「お母さん」とも言わず、「大本営何やってる」などと言って死んでいった(「天皇陛下万歳」ではなく「お母さん」と言って死んでいった、という証言は度々目にするが、ここではむしろ援軍もない状況への恨みが前面に出ていた、ということだろう)
  • 兵には住民と同じ壕に入るなと指導されていたが(住民を警戒していたため、防諜のためであろう、と)、実際には守られなかった
  • 島民を壕の入り口付近に集めてアメリカ軍の攻撃を避けたこともあった(ただし米軍が兵士の存在を認識していたのかどうかは不明、また掃討作戦が本格化するともちろん住民のいる壕も攻撃対象となった)
  • 食糧が足りないので「地方人」を壕の外に出したことが、生き残って思い返してみると「申し訳ない」
  • 三俵の玄米、下はドブに漬かり上は白骨化した兵隊の死体が乗っていて「脂」がたれてきているのになんとも思わず食べた


牛島司令官の自決後も各個で抵抗するよう命じられたことについての回想(一字一句正確ではない)。

(…)一兵卒が生きてたってね、(…)ろくに兵器もなにも無い。持っていても弾が無い。生きていても食糧が無い。拾ってきた手榴弾持ってたくらいで、それだって破裂するかしないか分からない。

沖縄出身と思われる元兵士は「(戦争については)本当のことは言えないよ。言うとね、夜眠れないさ」と語っており、戦争神経症と呼んで差し支えないであろう事例がほとんど放置されてきたのではないか、という疑惑を改めて感じた。