「"tell"だから命令じゃない」論を駁す

最近しばしば見かけるのが、『沖縄タイムス』が報道した米文書には林博史氏の「恣意的な翻訳」がある、という主張です。問題の米文書についての林氏の解説についてはこちら。これに対する右派の攻撃については(とりあえず目についたところということで)こちらと、碧猫さん経由で知った藤岡信勝センセの檄文をばあげておきます。後者によれば、右派の言い分は次の通りです。

沖縄タイムスはこれを2006年10月3日付けの一面トップで「米公文書に『軍命』」という見出しを付けて大々的に報道した。


しかし、右の沖縄タイムスの紙面に掲載されている英文を見ると、林氏の翻訳は不正確であり、意図的でもあることがわかる。関連する原文は次の通りである。
(英文中ーハイフンは空白です)


Civilians,-when-interrogated,-repeated-that-Japanese-soldiers,-on-21
March,-had-told-the-civilian-population-of-Geruma-to-hide-in-the-hills-and
commit-suicide-when-the-Americans-landed.


ここで林氏が「命令する」と解釈した単語は(tell)であって、(order・command・direct・instruct)のいずれでもないことに注意しなければならない。


大阪地裁で係争中の「沖縄集団自決冤罪訴訟」において、被告側代理人が今年一月十九日の法廷に沖縄タイムスの右の記事を持ち込んだのに対し、三月三十日の第八回口頭弁論で原告側代理人は、次のように反論した。


【本件の英文は、軍人によるものであり、この用語の使い分けについても当然理解した上で「tell」を用いているものと考えられる。
軍隊の文書というものは、その性質上極めて用語の使い分けには厳しいものだからである。
軍人が、民間人にたいする「軍命令」(command)は存在しないことが前提で(民間人は、軍の部下ではない)、より弱い意味で多義的な「tell」を敢えて使用している〉〈即ち、敢えて「tell人to〜」の用法を使用している原文は、軍による自決命令の存在を否定することを示すものというべきなのである】

林氏による解説でも触れられているが、この米文書がもつ最大の意義は、すでに敗戦以前から沖縄の生存者が「軍命令」について語っていたことの証拠だ、というところにある。というのも、軍命令についての証言は「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の適用を受けるために戦後に捏造されたものだ、という主張があるからだ。この観点からすれば、使用されている英語の動詞が "tell" であったか "order" であったかというのは二次的、三次的な問題にすぎない。この点を大前提としたうえで、"tell"を「命令する」と翻訳するのが「誤訳」であるかどうかを検討してみよう。
まず、発語行為としては「○○するよう言う」と「○○するよう命じる」の間に基本的な違いはない(「私は○○と命じる」というかたちで遂行動詞を使っていればはなしは少々違ってくるが)。どちらも誰かが別の者に向かって「△△」と口にした(「△△」は「○○」に対応する直接話法の表現形式)のであり、それが命令であるかどうかは発語媒介行為の水準で問題になることである。とすれば、この "tell" を「命令する」と訳してよいかどうか、訳すべきかどうかは「米軍が上陸したら自決するように」という発語行為がなされた文脈において発言者にどのような権威が(形式的にであれ、実質的にであれ)付与されていたか、聞き手の側にどの程度選択の余地があったかによって決まることであり、当時の沖縄における軍民の関係についてどの程度の知識をもっていたか定かでないこの文書の作成者(ないし通訳)がどのような動詞を選択したかによって決まることではない*1。別に法的な指揮命令関係がない場合にだって「命令する」という日本語は用いるのだし、「軍命令」があったとする論者にしたって公式な指揮命令系統の有無よりは住民に自由な選択の余地が実質的にあったかどうかを問題にしているわけである。公式な「命令」がなくたって一般市民の選択の余地が著しく狭められることがある…ってことについては、日本政府がイラクへの渡航を禁止する「命令」を出していたわけでもないのにイラク渡航した日本市民を口をきわめて罵った人々がよくご存知のはずである。

*1:もし米軍文書に "have ordered" とあったとしたら、「自決するよう言われた」という生存者の供述を通訳が「誤訳」した、って言うんじゃないかなぁ、彼らは。