「軍命令」をめぐって

沖縄戦における「集団自決」をめぐる教科書検定問題については、これまで福田内閣の姿勢を「融和的」と評してきたわけだが、結局のところ「直接的な軍の命令だったことを示す根拠は確認できない」(強調引用者)という姿勢は崩さなかったようだ。強調箇所は慰安婦問題をめぐる「狭義/広義の強制」云々といった議論を連想させるが、「直接的な軍の命令」ということで一体なにを意味しているのだろうか? 従来「軍命令」があったと主張してきた論者も、別に大本営が命じたとか第32軍の参謀部が起案して牛島司令官の名前で発せられた命令があったはずだ…などといったことはもちろん言っていない。「命令する側の論理」ではなく「命令される側の論理」で考えるなら、初年兵は古参兵の褌を洗濯させられる時にも「下級のものは上官の命を承ること実は直に朕か命を承る義なりと心得よ」であって、「それは軍の直接の命令でありますか?」などと尋ねようものなら、運良く古参兵がシャレのわかる人物でない限りビンタをくらうのが相場だろう。非戦闘員についても青年学校や中学校への将校配属や各種プロパガンダを通じて国家全体の兵営化が進んでいたわけであり、沖縄について言えば軍参謀長が「ただ軍の指導を理窟なしに素直に受入れ全県民が兵隊になることだ」と新聞紙上で訓示していたわけである。なにより、戦場で「その米をよこせ」と兵隊に言われた沖縄住民が「軍の直接的な命令でないなら渡さない」と抗弁してただですんだというのであれば、なるほど「集団自決」についても「直接的な軍の命令だったことを示す根拠」はないといってすませることができるのだろうが、実態はどうだったか? 要するに、命令する側は公式の、直接の命令でなくても言うことをきかせることができ、しかし後になれば「直接の命令ではない」と言い張れるということだ。いまは幸いにしてポケットに入るICレコーダーがある。命令される側の人間が命令する側の人間と話す時には必須ですな。