主語をあいまいにした読売新聞社説の欺瞞

昨日の判決についての産経新聞の報道については、すでに ni0615 さんが論評しておられます。ここでは本日づけの読売新聞の社説魚拓)をとりあげてみようと思います。

 判決は、旧日本軍が集団自決に「深く関与」していたと認定した上で原告の訴えを棄却した。


 しかし、「自決命令それ自体まで認定することには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ない」とし、「命令」についての判断は避けた。

裁判所が「認定することには躊躇を禁じ得ない」としているのは「本件各書籍に記載された通りの自決命令」すなわち「原告梅澤及び赤松大尉」が明示的に自決を命じたことについてであって*1、旧日本軍の「命令」ではありません。そもそも第32軍なり大本営なりが正式に「集団自決」を命じたなどという主張は(少なくとも影響力のあるものとしては)存在しなかったのですから、生存者や研究者が「軍が自決を強制した」と言うとき、それは「第32軍ないし大本営が自決の正式な命令を出した」という意味ではないわけです。すると、次のような主張はまったく根拠を持たないことがわかります。

 昨年の高校日本史教科書の検定では、例えば「日本軍に集団自決を強制された」との記述が「日本軍の関与のもと、配布された手榴(しゅりゅう)弾などを用いた集団自決に追い込まれた」と改められた。


 軍の「強制」の有無については必ずしも明らかではないという状況の下では、断定的な記述は避けるべきだというのが、検定意見が付いた理由だった。

林博史教授らが反論していたように、研究者は両隊長が明示的に自決を命じたことを既定事実としそれを根拠に「軍の強制があった」と記述してきたわけではないからです。なにより、二発の手榴弾を渡されるということがなにを意味しているかについては、ほかならぬ曾野綾子センセイがはっきりと語っておられます。

 戦争中の日本の空気を私はよく覚えている。私は13歳で軍需工場の女子工員として働いた。軍国主義的空気に責任があるのは、軍部や文部省だけではない。当時のマスコミは大本営のお先棒を担いだ張本人であった。幼い私も、本土決戦になれば、国土防衛を担う国民の一人として、2発の手榴弾(しゅりゅうだん)を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決するというシナリオを納得していた
(強調は引用者)

軍国主義的空気に責任があるのは、軍部や文部省だけではない」というのはまったくその通りです。しかしそうだとすれば「軍部以外に誰が、どういう責任を負うのか」を問題にすればよい(そして教科書に記述すればよい)のであり、「軍国主義的空気」の醸成に対して現に大きな責任を負う軍部を免罪する理由にはなりません。


まあ原告の(あるいは文科省の)主張に明確にコミットしている論者の反応はだいたい予想通りなので、むしろ興味深いのは自称中道の方々の反応ですな。例えばこことか。一番笑ったのは、この期に及んでなお「ただ、「兵事主任」という言葉は安仁屋政昭氏が使いはじめる前から存在していたのか、それ以前にもその言葉は使われていたのか(存在していたのか)に関しては、何かもう少し調べるための材料が欲しい、と思いました」などと言っていることです。『銃後の風景―ある兵事主任の回想』という文献について「まるでぼくがその本の存在を知らないかのような書かれぶりは困った」などと CloseToTheWall さんに対して言っていますが、「回想」記に「兵事主任」という語を含む副題がつけられていれば(戦後の用語法を取り入れたという可能性は直ちに排除できるわけではないにせよ)それが当時から用いられていた用語ではないか、と「推認」できるところではあります。そして、その気になって調べればネット上でも「兵事主任」が戦前・戦中において用いられていたことを「調べるための材料」はちゃんと存在しています。国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」を「兵事主任」で検索すると長尾耕作編の『海軍出身案内』(博文館、明治34年)という文献がヒットし、その目次には「兵事主任必携帝国海軍法規」という一項があります。なお、「近代デジタルライブラリー」で公開されているのは画像データであり、検索でヒットするのは目次など電子化されている部分が含む(あるいはそれに加えて検索語としてライブラリに登録されている)語句だけですので、単純な検索だけではヒットしない用例がさらにあることでしょう。例えば「兵事」や「徴兵」で検索すると膨大な数の文献がヒットしますから。アジア歴史史料センターの方は現時点でメンテナンスのためサイトにアクセスできないので後ほど確認して追記しますが。
いずれにしてもここで「フクロ」にされているのは具体的な個人の具体的な発言であるわけですから、それが「藁人形叩き」だという主張こそ藁人形叩きと評されるべきでしょう。


なお、「命令系統」が法的根拠をもつものか否かというのは、こと「集団自決」に関する限りほとんど意味のない争点です。というのも、私が知る限り、大日本帝国においては誰かが誰かに「自決」を命じる「法的」権限など存在しなかったからです。第一次上海事変後の空閑少佐の事例以来、自決の命令、強要は(自決させられるのが軍人の場合であれ)非公式な、だからといって非公然というわけでは必ずしもなくまた強制の度合いにおいて決して法的命令に劣るわけではない圧力(皇民化教育を通じて内面化された規範のそれを含めて)によってなされてきたのであり、これは沖縄戦においても変わりません。こうした事情を知ったうえでなお命令系統の公式性にこだわるのは、為にする議論でしかありません。

*1:ただし、判決は「それぞれの島における集団自決に原告梅澤及び赤松大尉が関与したことは十分に推認できる」ともしています。