『沖縄戦 米兵は何を見たか』
沖縄戦50周年を期に米軍の公文書、参戦将兵へのインタビュー、アンケートなどから「米軍の見た沖縄戦」、特に米軍と沖縄の住民との関係を描き出そうとした試み。
筆者の予想に反して、最前線で戦っていた将兵は非戦闘員との接触をほとんど持っていなかったという。多くの場合、老人や女性、子どもが後送されるのを見た程度だという。その理由の一つは次の点にあろう。
沖縄作戦を実施した米陸軍省の準備を調べて、驚かされることがある。それは周到な住民対策だ。米軍は、戦艦、戦闘機、各種へ生き、弾薬に加えて、住民のための食糧、テント、浄水装置、医療施設、医療品、通訳、軍政府要員などとともに上陸した。そして、戦闘活動のかたわら、避難民の隔離や救護に当たり、さらには戦後の復興計画まで手がけたのである。
(100ページ)
すなわち、最前線の部隊が遭遇した非戦闘員の処遇について事前にきちんとした計画、準備があったからこそ、米軍将兵と沖縄住民の接触は少なくてすんだ、ということだろう。仮にも一国の首都(だった都市)を攻略するというのに、それにふさわしい準備がまったくといってよいほどなかった中支那方面軍とはたいへんな違いである。もちろん、米軍の人権意識、正統性に対する意識のみならず、それを支える圧倒的な豊かさ、組織力にも注目すべきであり、つくづく無謀な戦争だったことが分かる。
他にも興味深いのは、沖縄に対する差別を米軍はよく調べており、将兵にもパンフレットを配布していたという点。これが沖縄の住民を「敵」と考えない態度を将兵のあいだに醸成したことは大きな効果があったのではないかと思われる。沖縄市民から見た日本軍のイメージと、米兵が見た日本軍のイメージが非常によく一致する、という著者の観察(230-231ページ)は非常に示唆的である。
もちろん、日本軍の捕虜(投降兵)を殺害した事例、(誤って)非戦闘員を殺してしまった事例、壕にこもってどうしても投降しない軍民を埋立てて殺害してしまった事例についての証言もあり、特に非戦闘員の殺害は(戦争目的の正統性に関して強い確信が持たれている戦争であるにもかかわらず)少なからぬ米兵にとって心の傷となっている。
一方で捕虜や非戦闘員の殺害など「見たことがない」という証言もある。南京事件否定論の手法を使えば、そうした証言から「沖縄で米軍は捕虜や非戦闘員を殺したことなどない」と言えてしまうわけだ。しかし「見たことがない」という証言を嘘だと考えずとも、広い戦場に多様な任務の多数の軍人軍属がいれば、そうした現場にまったく立ち会わなかった人間がいてもまったく不思議ではないのである。