NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第3回 "熱狂”はこうして作られた」

大きな枠組みとしてはこれといって目新しいところのない内容でしたね。マスメディアの戦争責任についてはすでに学問的な研究の蓄積もあるし、比較的最近も朝日新聞でかつての戦争報道を振り返る連載があったり(他紙で同様の企画が近年あったかどうかは把握していない)、NHKでも「戦争とラジオ」という2回シリーズを放送しているし。
やはり目玉は今回の取材で発見されたという録音資料でしょう。日本新聞協会が100人以上の元記者たちにインタビューして残したテープ。画面に映ったテープのラベルに書かれている日付は昭和50年とか54年とか61年だったりするので、戦後30〜40年頃に取材され、それから30年近く世にでないまま「行方不明」になっていたことになります。
また今村均や鈴木貞一、福留繁など陸海軍人たちの録音資料についてはその素性が(番組内では)明らかにされていなかったが、元記者たちのテープと同様どのような経緯で記録されどのように保管されてきたのか、アーカイヴ化して公開するうえでなにか障害があるのかなど、なんらかのかたちできちんと明らかにしてもらいたいですね。
紹介された録音資料の中で最もインパクトがあったのは、やはり谷萩邦華雄大尉(陸軍省新聞班、当時)が記者クラブに対して、柳条湖事件関東軍の謀略であることを話していた(「実はあれは関東軍がやったんだよ」)、という証言でしょう。各紙は真相を知っていながら関東軍の行動を熱烈に支持したわけです。とはいえ、「満蒙は日本の生命線」というフレーズを流行らせた張本人である松岡洋右国際連盟総会から帰国して「口で非常時と言いながら、私をこんなに歓迎するとは、皆の頭がどうかしていやしないか」と語ったとか、海軍が三国同盟反対の姿勢を翻したことについて余人ならぬ大島浩が「世論に押されたんじゃないかと思いますね」と言っているのを聞かされると、番組の終盤での角田(つのた)順・元東亜研究所調査員の次のような指摘にも耳を傾けねばならないでしょう。

しかし世論っていうものはないですよ。あの時は、本当の意味での世論はない。自分の意見の跳ね返りなんですよ。支那事変の時だってそうだし。自分で統制して一定の方へ流しておいてですよ、流された勢いに今度は跳ね返って自分がまた流される。


同じような感想を書き留めている人が少なからずいますが、やはり「今日のマスメディアとどれだけ違うのか?」という思いは浮かびますね。いまは戦争報道の代わりを犯罪報道、政局報道が担っているという違いはもちろんありますが。
それから、番組の最後では「あなたは、日本が再び戦争をする日が、来ると思いますか?」というアンケートの結果(「来る」が17.7%、「来ない」が65.8%、「わからない・無回答」が16.6%)が紹介されてましたが、「すでに来ていると思う」という選択肢はないんですね。この選択肢があるかどうかで例えばイラク戦争に対する国民の意識も変わるんじゃないかと思うんですが。


追記:番組では新聞各社が戦争報道により発行部数を伸ばしたことが指摘されていましたが、これは番組でとりあげられなかった雑誌についても同様です。番組にも登場した佐藤卓己氏の『言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)によれば、当時の主要78誌の売り上げ部数のピークは1940年であったことなどが指摘されています(39-40ページ)。