本質主義者、涙目

以前に昭和篇について簡単に言及した NHK Eテレの「さかのぼり日本史」。たまたま昨月31日放送分の「江戸“天下太平”の礎 第4回「島原の乱 “戦国”の終焉」」に番組表を見ていて気づいたたので、録画して見た。なぜかと言えば、「踏み絵」に関して法華狼さんのところにこんなコメントをしていたから。

Apeman 2012/01/08 17:13
>踏み絵はキリスト教が弾圧された歴史の一つとして教えられたはずだ。


いちおうはそういう風に教えられていると思いますけど、それがどれだけ「負の歴史」として意識されているかというと心もとない気がします。下手をすると「キリスト教の文化侵略を阻止した江戸幕府スゲー!」となってそうな……。
(http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120107/1325957836#c1326010412)

番組ではキリスト教弾圧政策にはまったく触れられていなかったのでその点では肩すかしだったのだが、江戸時代初期の SAMURAI たちの行動様式についてかなり踏み込んだ紹介の仕方をしていた。

天下分け目の関ヶ原の戦いを制した徳川家康。幕府を開いた家康は、武力によって大名を統制し、国じゅうを幕藩体制へと編成し直していった。しかし、泰平の世はたやすくは訪れなかった。寛永14(1637)年、三代将軍家光の治世に島原の乱が勃発。幕府は12万の大軍を投入して一揆軍を鎮圧するものの、多大な犠牲を払うことになった。多くの血を流したこの事件を契機に、幕府は武力に訴える統治を改め、平和を導くために法による統治へと転換を図っていく。
家光時代の島原の乱を契機に、四代将軍家綱を経て五代将軍綱吉に至って文治政治を確立した経緯を辿りながら、安定社会をもたらした江戸時代の原点とその意義を探る。
(http://www.nhk.or.jp/sakanobori/archive201201/index.html#series_04)

島原の乱それ自体も反乱軍3万7千人の殆どが死に、島原藩の領地のおよそ半分では年貢を納める領民がいなくなってしまうほどの大殺戮だったわけだが、番組はまず島原の乱に先立つ、江戸幕府最初期の統治のあり方を紹介している。徳川家の直轄地に当時なったばかりの小生瀬村(現茨城県大子町)で年貢をめぐる争議が起きた際、徳川家は「一村之農民妻子ニ至ルマデ」村人全員を「打捨」(=皆殺し)にした。犠牲者は「500人とも600人とも言われている」。現場はその後「地獄沢」と呼ばれるようになったとのこと。ゲストの磯田道史茨城大学准教授は松平氏の前の加藤家統治時代の会津藩の資料を紹介して、これが徳川家のみの問題ではないことを指摘する。藩主から「お前のところの百姓たちが、年貢があまりに重すぎるといって訴えて来ているぞ」と対応を問われた家老が、「いよいよ言うならば、すべて撫で斬りにして殺すからいい」と答えたというのである。「撫で斬り」とは磯田氏の解説によれば「一村全部、稲をなぎ倒すようにすべて首を落とす」ことを意味しているという。島原の乱を契機とする政策転換について、番組は「島原の乱までの幕府や大名というのは、民衆に対して容赦なく発砲する政府」「未開から文明への転換と言っていいほどの社会の変化」という磯田氏のコメントでまとめている。
さて、これまでたびたび指摘して来たことだが、南京事件否定論者に代表される日本版歴史修正主義者のほとんどは本質主義的な民族観の持ち主である。「日本人が大虐殺なんてするはずがない」「南京大虐殺を否定しなければ、日本人は残虐な民族ということになってしまう」等々。これに対して従来も、日本史における大量殺戮の事例を引き合いに出して反論する試みはなされてきたが、今回の番組も我らがご先祖様(自称愛国者様はしばしばすべての日本人が SAMURAI の末裔であるかのように振る舞うから、こう言ってもよかろう)は「一村之農民妻子ニ至ルマデ」皆殺しにするような人殺しであったことを明らかにしている。本質主義的な民族観を前提とするなら、南京大虐殺三光作戦が行われたのもむべなるかな、ということになろう。