念の為

上記の書評に次のような一節を見かけて、南京事件否定論に利用しようと目論むやつがいるかも、などと思ってしまいました。「使えるものならなんでも使う」どころか、むしろ「使えないものを得意げに持ち出す」のが歴史修正主義者なので。

 目から鱗(うろこ)が落ちる思いがしたのは、1937年12月12日、蒋介石が下した南京撤退命令をめぐる解釈である。上海では頑強に抗戦した蒋が、なぜ南京では自軍に対し早々と撤退を命じたのか。著者の答えは私を震撼(しんかん)させた。スペイン内戦をつぶさに研究していた蒋は、もし南京で徹底抗戦をおこなえば、マドリード防衛戦のごとく、都市を舞台とした長期戦となり、共産党勢力の増大が不可避となる。「南京を日本軍の手に落としても、それは共産党の手に落とすよりは取り戻しやすい」。これこそが、歴史の酷薄さに堪えた、危機の時代の指導者の姿だったのだろう。

南京事件における、特に中国軍将兵の犠牲を大きくした要因の一つとして、しばしば「唐生智の撤退命令が遅れたこと」が指摘されます。しかしこれは、引用部で紹介されている家近氏の議論ともちろん矛盾するわけではありません。「残存兵力を損なわずに撤退すること」を目標とするのであれば撤退命令は遅すぎたし、「徹底抗戦」という(当初掲げられていた)目標に照らせば非常に早い撤退命令だった、ということでしょう。
とりあえず引用部に関連する部分をさっと斜め読みしただけですが、南京事件についてはとりたてて詳しい分析がなされているわけではありません。ただ、12月27日に唐生智らが提出した報告書と日本軍兵士の証言とを照らし合わせて、両者がほぼ一致した状況を物語っているという指摘などもありました。