「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その4
「戦争体験記・部隊史にみる日本軍「慰安婦」」シリーズの紹介を一回休んで、今回は「アジア歴史センター」でオンライン閲覧できる史料から。このブログで既に言及したことのあるものですが、なんせ7年も前のことですので。
「アジア歴史センター」にはインターネット環境さえあれば誰でも簡単にアクセスできますし、史料のレファレンスコードか件名表題がわかっていれば検索も容易なのですが、なにせ量が膨大なもので漠然と「こんなものを探したい」という時に該当するものを探し当てるのはそう容易ではありません。おまけに翻刻はされておらず画像データですので、判読に手間取ることもままあります。というわけで、一般の読者にとっては「さほどアクセスしやすくないがアクセスできないわけではない」もの、という今回の趣旨にかなうでしょう。
- 「南京攻略に関する意見送付の件」 1937年11月30日 作成者:丁集団*1参謀長 レファレンスコード:C04120413800
これは秦郁彦氏の『南京事件』(中公新書)でも紹介されていますので、古くから知られているものですが、現物の写真をオンラインで閲覧することができます。注目すべきは、南京攻略がスムーズに行かなかった場合の作戦案として「先ズ南京ニ急追シテ包囲態勢ヲ完了シ主トシテ南京市街ニ対シ徹底的ニ空爆特ニ「イペリット」及焼夷弾ヲ以テスル爆撃ヲ約一週間連続的ニ実行シ南京市街ヲ廃墟タラシム」「本攻撃ニ於イテハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要」としている点でしょう。秦氏は柳川平助・第十軍司令官について「敬神家だといわれてますが、とんでもない。敬神どころか残虐非道な男なんです」(「BC級裁判」を読む』、日本経済新聞社、68ページ)と辛辣に評していますが、その根拠の一つがこの作戦案であることはまず間違いないでしょう。
で、この作戦案が机上の空論でなかったことを示唆するのが次の史料です。
- 「弾薬補給の件」 1937年10月28日 作成者:兵器局銃縦砲課 レファレンスコード:C01005653700
- 「弾薬交付の件」 1937年11月16日 作成者:兵器局銃縦砲課 レファレンスコード:C01005668000
第十軍ではなく上海派遣軍に関する史料ですが、交付された毒ガスの中にびらん性ガスを意味する「きい」が含まれていたことがわかります。前出の「イペリット」がまさにこの「きい」に当たります。
第十軍の上記作戦案は結局採用されませんでしたが、しかしこの案が南京事件否定論者の主張に与えるダメージは結構なものです。というのも、彼らはしばしば「日本軍にはそんなことをする理由がない」だの「日本軍がそんなことをするはずがない」だのと主張するからです。戦時国際法で使用が禁じられたびらん性ガスを「徹底的」に使用して大都市を「廃墟」にしてしまうプランを立てる軍が、非戦闘員や捕虜を大量殺害したとしてなんの不思議があるでしょうか? 柳川平助が「山川草木、全部、敵なり」と訓示した、とする大宅壮一の報告は伝聞ではありますが、それに一定の信憑性を与えているのがこの作戦案の存在であるわけです。
*1:第十軍(司令官:柳川平助中将)のこと。