「証拠を出せ? 出したらちゃんと自分の目で見るんだろうな?」その3

  • 「資料構成 戦争体験記・部隊史にみる日本軍「慰安婦」(1)」、日本の戦争責任〔ママ〕センター、『季刊 戦争責任研究』第66号、2009年冬、44-54ページ

タイトルにあるように、旧軍将兵などが書いた回想記や部隊史に現れる軍「慰安所」の記述、日本軍や連合軍による性暴力の目撃談などを収集したもの。なおタイトルの「(1)」など「( )」でくくった数字は原文では丸囲み数字(以下、および次回以降も同じ)。
全部で25の資料が「一、日本軍人による性暴力」、「二、日本人「慰安婦」…人身売買・誘拐等」「三、朝鮮人女性の誘拐と人身売買」と分類されて紹介されている。「一」に属する資料も軍「慰安所」制度の背景を理解するうえでは重要なのだが、ここでは割愛し、「二」「三」から一部を(そう、一部だけを)紹介する。

  • 「二」の(3) 整理番号141:「橋爪健さんの話」、青柳忠良『続・聞き書き「地域の“戦争”の時代』、2002年、私家版、54ページ

 臨汾には女郎屋があって、実質的には軍が管理しており、女たちの病気の検査結果も公表されておりました。(……)あるときは、師団司令部に軍属として配置された日本人女性達のうち、余った2名が慰安婦にされて泣いていたということも聞きました。誰が筆下ろしをしたか、きっと偉い人だろう、などということが話題になったものです。女性は国籍を問わず踏みにじられたということです。

  • 「三」の(8) 整理番号16:「インタビュー 永瀬隆 私の戦後処理」、青山学院大学プロジェクト95編『青山学院と出陣学徒』、私家版、1995年、218ページ。なお証言者は軍人ではなく軍に徴用された通訳。部隊長の命令で朝鮮人慰安婦に日本語を教えることになり、証言者が「兵隊ではない」のを知った女性達が話してくれたこと、して。

 「通訳さん、実は私たちは国を出るとき、シンガポールの食堂でウェイトレスをやれと言われました。そのときにもらった百円は家族にやって出てきました。そして、シンガポールに着いたら、慰安婦になれと言われたのです。」

この種の資料を読む場合に(一般論として)注意が必要と思われる点について。「日本の戦争責任資料センター」による09年と10年の調査は主に1994年以降に刊行された文献を対象としているので、金学順さんらの名乗り出によって軍「慰安所」制度が問題化していたことに執筆者・証言者(および聞き手)が影響を受けている可能性はある。その影響は軍「慰安所」の犯罪性を過小評価する方向にはたらく場合もあるだろうし、その逆もあるだろう。法廷での証言ではないから自身の見聞と伝聞が混じっていることも少なくない(今回紹介した2例は、いずれも伝聞)。記述内容を裏付ける(ないし反証する)別の資料があればよいが、そうでなければ記述・証言の信憑性については断定的なことは言えないだろう*1。だからこそ「日本の戦争責任資料センター」が行なったような網羅的な調査には意味がある。独立した資料に類似したパターンの出来事が繰り返し記述されていれば、その分それらすべてが記憶違いであったり虚言であったりすることは考えにくくなるだろうからである。だから、間違っても今回引用した2例(いずれも雑誌掲載分のすべてではなく、その一部)だけを読んで評価するのではなく、最低でも『季刊 戦争責任研究』で紹介されたものはすべて読んでみることが必要だろう。

*1:もちろん、ある回想記の全体としての信憑性が、個々の記述の信憑性をある程度裏書きする、といったことは言えるが。