慰安婦・慰安所に関してオンラインで閲覧できる一次史料(追記あり)

追記あり。再追記部分は太字。その後、オンラインで閲覧できる資料がさらにあることをご教示いただきました。こちらをご覧ください。
コメント欄が制限字数に到達しましたので新規の投稿ができなくなっております。


アジア歴史史料センターで公開されている資料を「慰安婦 or 慰安所」で検索すると計15点がヒット。このうち関連するものは(ざっとみた限り)次の通り(「@」は判読不能部分)。


支那渡航婦女に関する件」 内務大臣決裁書類・昭和13年(下) レファレンスコード:A05032044800

支那渡航婦女ニ関スル件伺本日南支派遣軍古荘部隊参謀陸軍航空兵少佐久門有文及陸軍省徴募課長ヨリ南支派遣軍ノ慰安所設置ノ為必要ニ付醜業ヲ目的トスル婦女約四百名ヲ渡航セシムル様配意アリタシトノ申出アリタルニ付テハ、本年二月二十三日内務省発警第五号通牒ノ趣旨ニ依リ之ヲ取扱フコトトシ、左記ヲ各地方@ニ通牒シ密ニ適当ナル引率者(@主)ヲ選定之ヲシテ婦女ヲ募集セシメ現地ニ向ハシムル様取計相成可然哉 追テ既ニ台湾総督府ノ手ヲ通ジ同地ヨリ約三百名渡航ノ手配済ノ趣ニ有之(後略)

「申出」の主体は「南支派遣軍古荘部隊参謀陸軍航空兵少佐久門有文及陸軍省徴募課長」である。すなわち、内務省が軍からの要請に基づき、業者に慰安婦を募集させることを決済したわけである。


「軍慰安所従業婦等募集に関する件」 昭和13年 「陸支密大日記 第10号」 レファレンスコード:C04120263400

昭和十三年三月四日 陸支密 副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒案支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ故ラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少カラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ當リテハ関係地方ノ憲兵及警察當局トノ連携ヲ密ニシ(後略)

これはかなり有名なもの。この文書を、軍が慰安所に直接タッチしていなかった証拠と考えるひとがいるようなので驚いてしまう。「一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ」というとあたかも「軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ」が事実に反しているかのようであるが、もちろんそんなことはない。こういう例えが不謹慎なのは承知しているが、後半は現在でいえば風俗嬢のスカウトを自衛隊が「選定」する、というはなしである。
そもそも軍慰安所は、業者が自発的に「営業したい」と申し出てきたので軍がそれを許可した、といった類いのものではない。軍のイニシアティヴによってつくられたものである。旧陸軍将校の親睦団体偕行社が編纂した『南京戦史資料集』に収録された当時の参謀の日記には、彼らが慰安所の設置を計画したことが記されている。例えば上海派遣軍参謀長飯沼守の12月11日の日記には「慰安施設の件方面軍より書類来り実施を取計らう」、19日の日記には「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」とある。また上海派遣軍参謀副長、上村大佐の12年12月28日の日記には「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」と記されている。
慰安所の運営実態については場所や時代によりさまざまだろうが、例えばこの写真慰安所では「兵站司令」名義で注意書きが掲げられている。


「南方派遣渡航者に関する件」 昭和17年 「陸亜密大日記 第22号 2/3」 レファレンスコード:C01000379100

本年三月台電第六〇二號申請陸亜密電第一八八號認可ニ依ル「ボルネオ」ニ派遣セル特種慰安婦五十名ニ関スル現地著後ノ實況人員不足シ稼業ニ堪エザル者等ヲ生スル爲尚二十名増加ノ要アリトシ左記引率岡部隊發給ノ呼寄認可證ヲ携行歸台セリ事實止ムヲ得ザルモノト認メラルルニ付慰安婦二十名増派諒承相成度
(…)

秦郁彦は「文部省食堂」に譬えたわけだが…。台湾軍参謀長が慰安婦「二十名増加」を諒承してもらいたい、と言っているわけである。


大東亜戦争関係将兵の性病処置に関する件」 昭和17年 「陸亜密大日記 第24号 2/3」 レファレンスコード:C01000419000

出動地ニ於ケル性病豫防ノ徹底ヲシ以テ戰力ノ減退ト病毒ノ國内搬入ニ依ル民族ノ將來ニ及ボス悪影響トヲ防止センカ爲左ノ通リ定メラレタルニ付依命通牒ス 左記一.派遣部隊ニ於ケル性病豫防ニ就テハ嚴正適切ナル指導ニ依リ感染ノ機會ヲ避ケシムルト共ニ出動地ニ於ケル慰安所等ノ衞生管理ニ關シ遺漏ナキヲ期スルモノトス(後略)


渡航手続に関する件」 昭和17年 「陸亜密大日記 第55号 2/3」 レファレンスコード:C01000831600

軍酒保要員並慰安婦ニ対スル渡航手續ハ昭和17年4月23日陸亜密第一、二八三号一ノ「ト」ニ依リ処理セラルヘキモノナリ尚慰安婦ハ既ニ南方地域ニ於テハ飽和状況ナル由ニ付為念(後略)

追記
「日本の戦争責任資料センター」による「日本軍「慰安婦」問題に関する声明」はこちら
青狐さんがeichelberger_1999さんの問題提起をこちらで紹介しておられるが、当ブログのコメント欄でも同様のご指摘をいただいている。従軍慰安婦問題における「強制性」という争点は南京事件で言えば殺害の「非合法性」という争点とパラレルなものである、と言えるのではないか。なるほど、ある観点からは「強制の有無」「合法な殺害/非合法な殺害」をきっちり区別することに重要な意味はあろう(特定個人の責任が追及されるような場合)。そうした議論を行なうこと自体がけしからんとか無意味だとかは思わない。この問題が広く認識された当時「強制性」についてどのようなことが言われていたのか、なにぶんかなり前のことでありかつその後集中的に調べたこともないのではっきりした記憶はないのだが、仮に「ほとんどのケースで、銃剣を突きつけて連行するような強制が行なわれた」といった認識を持つ人が少なくなかったのなら、その点に関する限り認識を改めるよう求めたってかまわないだろう。しかしながら、そのことは国家が自国の兵士の「性」の管理のために女性を動員することを国家として発意した(単に黙認するといった消極的なかたちではなく)という問題にはなんら影響を与えない、というのがeichelberger_1999さんの問題提起の趣旨であろう。また、強制性の内実が「銃剣」を中心としたものでなかったということは日本「軍」の責任を一定程度軽減する理由にはなるかもしれないが、日本「政府」の責任を軽減する理由には必ずしもならない。銃剣を突きつけられたわけでもないのに慰安婦となることを強いられた(「強いる」という語の様々な意味において)人々がいるのだとすれば、むしろ問題はよりいっそう深刻であるということだって可能である。というのも強制が「銃剣」によってのみ行なわれたのなら問題は旧日本軍の体質へと集約しうることになるが、そうでないのなら当時の日本社会全体のあり方が問われることになるからだ。