8月のNNNドキュメント'14戦争関連番組

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  • 8月3日(日) 24:50〜 「無言の語り部〜ヒバク遺品は訴える〜 」

被爆者・平野隆信さん(78)が床の間に飾っているもの。それは古びた「やかん」だ。69年前、被爆死した父の遺骨を、自宅の焼け跡で見つけたやかんに入れ、疎開先に持ち帰った。今、平野さんはこのやかんを広島市原爆資料館に寄贈するか悩んでいる。原爆資料館は今年から4年がかりのリニューアル工事を開始。目的は「現物資料の充実」だ。爆風でボロボロになった衣服など、実際に被爆した資料の展示がこれまで以上に増える。被爆者が高齢化する中、物言わぬ語り部として資料は重要な役割を担う。一方で平野さんには形見を手元に置いておきたい気持ちもあり、葛藤が続く。現物資料の充実で原爆資料館はどう変わるのか、遺族や被爆者はどのような思いで資料を託すのか。

戦争体験者の遺品をどう扱うべきか、というのは重要な課題かもしれません。従軍日記や公表されることのなかった回想記などが遺族の元に眠っているケースもまだまだあるのではないでしょうか。

  • 8月10日(日) 24:50〜 「続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今」

アメリカが太平洋で核実験を行った1954年。マグロ漁船「第五福竜丸」の被曝が世界に報じられた。だが、被害はそれだけではない。南海放送は一昨年、「放射線を浴びたX年後」を放送。被曝した魚を水揚げした日本の船が延べ1千隻だったこと。さらに、放射性物質が日本列島を汚染していたことを伝えた。全国に降り注いだ放射性物質。特に爆心地に近い沖縄では、当時17万カウントという高い放射線を測定。約30年間にわたり国内の被曝の実態を調査してきた高知県の元高校教諭が今年、その沖縄に入った。周辺海域が汚染されていたにも関わらず被曝した魚が沖縄で一度も水揚げされていないことに、元教諭は疑問を抱く。調査を進めると、沖縄が持つ特殊な実情が見えてきた。

一昨年の「放射線を浴びたX年後」の情報はこちらにもあります。

  • 8月17日(日) 24:50〜 「歴史に挑む 日韓・高校生たちがつないだ40年」[仮]

歴史の傷を抱えながら友好と対立を繰り返す日本と韓国。最も近いふたつの国が今、かつてない嵐の中をさまよっている。こうした中で今年交流40年の節目を迎えた日韓の高校がある。「海を越えた修学旅行」は韓国が軍事政権だった時代に始まり、互いが「冒険だった」と振り返る。たとえ歴史問題で日韓関係が悪化しても、毎年ふたつの学校は決して会うことをやめなかった。歴史の迷路に迷い込み、抜け出す道を探し続けた生徒たちの40年。今年節目となる修学旅行の出発直前、「セウォル号沈没事故」が発生。同じ世代の高校生が大勢犠牲になった。鎮魂の祈りに包まれる韓国で、生徒たちは互いの姿に何を見たのか。日韓の荒波に漕ぎ出した40回目の修学旅行が今、始まった。

これは厳密には「戦争関連番組」ではないかもしれませんが、戦後の日韓関係がアジア・太平洋戦争の結果に大きく規定されていたという意味では、戦争と無関係ではないでしょう。