「黒い雨」に関する調査資料の存在、明らかに

原爆傷害調査委員会が1950年代に広島・長崎の被爆者を対象に行なった調査で、「黒い雨」に遭遇したと回答した約1万3000人分のデータを、原爆傷害調査委員会の後身である放射線影響研究所保有していたことを、各社が伝えています。
朝日新聞毎日新聞が力点を置いて伝えているのは次のような部分です。

 保険医協会によると、先月下旬に放影研から資料を入手。約1万3千人のうち約800人が長崎分で、それぞれ黒い雨に遭った地点を分析した。これまで知られていた西山地区のほか、爆心地から南に約10キロの旧香焼村(現長崎市香焼町)、同約8キロ西の旧式見村(現同市式見町)でも黒い雨に遭ったとする回答があった。
(http://www.asahi.com/national/update/1121/SEB201111210085.html)(魚拓

 データには、爆心地から約10キロ南の香焼島(現・長崎市香焼町)や約8キロ西の式見村(同・同市式見町)で雨に遭ったという回答もあった。「長崎の証言の会」代表委員の広瀬方人さん(81)は「これまで証言がなかった場所でも、被爆直後の混乱で気付かなかったことも考えられる」と話している。
(http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111121dde041040039000c.html)(魚拓

ところが、読売の記事ではずいぶんとニュアンスが違っています。

(……)放影研は今後、分析する方針を示す一方、「直接被爆した人への影響を調べる中で、参考に尋ねたもの」で、黒い雨の影響を研究する資料にはならないとしている。
(……)
 調査は浴びた場所も尋ねているが、大久保利晃理事長は記者会見で「このデータでは科学的分析はできない」と述べた。また、広島で「遭った」とした人の多くは爆心地周辺にいたとみられ、現在、広島市などが国に求めている黒い雨降雨地域の援護策拡大には影響しないとの見方も示した。
(http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111122-OYO1T00612.htm?from=top)

読売の記事にも「黒い雨の影響は過小評価されてきた」という、広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会・会長のコメントが引用されてはいますが、明らかに「影響はない」を強調した記事になっています。このデータの科学的な価値が大久保理事長の言うようなものでしかないのかどうかは、今後の分析で明らかになるでしょうが、データが広く研究者に公開されてこなかったことそれ自体に、「一体何のための、誰のための調査だったのか?」と思わざるを得ません。


ところで、昨年にも「黒い雨」の降雨範囲をめぐる新しい研究成果についての報道をとりあげたエントリを書きました。

その結び部分で書いておいたことを今回の報道に際しても、改めて感じます。

それはさておき、南京事件否定論の一つのトリックとして「犠牲者数ははっきりしていて当たり前、はっきりしないのはおかしい」と印象づけるというものがあります。この点において、「黒い雨」の降雨状況や最大被曝線量といった、原爆投下による被害規模の推定にとって基本的な事柄について、被曝から65年経ってもなお研究の余地がある……という事実は非常に示唆的です。