「封印された原爆報告書」ほか

昨年の8月6日に放送されたNHKスペシャル封印された原爆報告書」が昨晩再放送されていた。日本政府が放射性物質による被曝から市民をいかにして守るのか、その姿勢が問われている*1時である、という観点からも観るに値する再放送だったのではないだろうか。

アメリ国立公文書館GHQ機密資料の中に、181冊、1万ページに及ぶ原爆被害の調査報告書が眠っている。子供たちが学校のどこで、どのように亡くなったのか詳しく調べたもの。200人を超す被爆者を解剖し、放射線による影響を分析したもの…。いずれも原爆被害の実態を生々しく伝える内容だ。報告書をまとめたのは、総勢1300人に上る日本の調査団。国を代表する医師や科学者らが参加した。調査は、終戦直後から2年にわたって行われたが、その結果はすべて、原爆の“効果”を知りたがっていたアメリカへと渡されていたのだ。


なぜ貴重な資料が、被爆者のために活かされることなく、長年、封印されていたのか? 被爆から65年、NHKでは初めて181冊の報告書すべてを入手。調査にあたった関係者などへの取材から、その背後にある日米の知られざる思惑が浮かび上がってきた。
(後略)
(http://www.nhk.or.jp/special/onair/100806.html)

なにぶんとりあげているのが大戦末期のことであるから、敗戦時に大本営勤務の軍医少佐という地位にあった人物がまだ存命で、日本軍側の「思惑」について証言している。十数秒の沈黙の後に「731なんかのこともあるでしょうね」と。石井部隊の戦争犯罪が情報提供と引き換えに免罪されたことはもはや周知の事実とはいえ、佐官級の元軍医の口から「731」という単語が出てくるのを聞くとやはり一種の感慨はある。
ナレーションでは「自ら開発した原子爆弾の威力を知りたいアメリカ そして戦争に負けた日本 原爆を落とした国と落とされた国 二つの国の利害が一致したのです」と語られていたが、アメリカ側はともかくとして日本の場合にはかかっていたのは「国の利害」などではなく、軍指導者や軍と関わりの深かった研究者の利害でしかない。保身のために調査報告書を利用しただけではなく、講和成立以降も集められたデータを被爆者のために利用しようとはしなかったのだから(そもそも治療とは関係のない調査だったという問題もあるのだが)。写真でしか知らない叔母のプレパラート標本と対面した男性の「これがおばさんですかねぇ」「こんなかたちでお会いするとは思いもしませんでした」という言葉は実に重い。


本放送時に見逃した「さかのぼり日本史 昭和 とめられなかった戦争」の第1回を観た。このシリーズについては1月から3月に放送された「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」のシリーズとあわせ、NHKが戦争へと向かう歴史をどのように描こうとしているのか、いずれ丁寧に分析する必要があるだろう。
とりあえず第1回については、ゲストの加藤陽子氏が、アジア・太平洋戦争における日本人の死者の多くが「絶対国防圏」崩壊後に出ていることを指摘した後、「最後の1年半で 戦争体験が上書きされた」と指摘したことをメモ。軍人の遺族と違ってなんの補償もなかった空襲被害者(遺族)の抱く「不公平感」に触れ、「おそらくこのあたりが、日本がアジアに対して戦後責任を率直に認められないという気持ち、自分たちはこんなにひどい目にあったと、その気持ちの強さが、強く残った戦争の終わり方への道だった」という「大きな影響」について語っている。事実の問題として言うなら、戦中世代の被害者意識が戦争責任の認識にとって障害となったことは確かだろう。だがこの被害者意識は、もちろん一方では客観的な事実に根ざしてはいるものの、他方では自らの体験をどう意味付けるか、市民の被害をどう意味付けるかという思想の問題でもある。戦争責任・戦後責任に向き合えなかったことも、空襲被害者の犠牲を「受忍論」で片付けてきたことも、ともに戦争についての認識の貧しさという同じ根っこをもっているのであって、解決策は「まずは自国の死者を悼む」ことではない、ということを改めて確認しておきたい。

*1:原発をめぐって問われているのはそれだけではないけれども。