先祖の遺訓かなにかで議論の蓄積は踏まえないことにでもなってるの?

「大勢でコメントするとわやくちゃになるからよそへ」と誘導したコメントの真下に「質問です」とコメントしてきたのがいたので削除したんですけど、その質問がまたひどいんですよ。

先生の御指摘である、大内の「契約書」や「契約条件」を「公序良俗」に反すると警察がみなしていたと仮定します。

その後に通牒される「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」では、婦女売買にあたるような契約内容ではないか身分証明書を発行するにあたり警察が調査することを義務づけているという史実があります。

上記2項からは、マレー軍政監部の「芸妓、酌婦雇傭契約」が前提としている「契約」は、大内の「契約書」と同様と見なすことは困難と推測されます。いかがでしょうか?

それ、もろにそのコメント欄で話題になってる点やがな!
せっかくなので私からこのひとに質問しておこう。河野談話の結びには「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」とあるんだけど、だったらどうして中学校の教科書から「慰安婦」問題についての記述が消えるようなことが起こるのかな?